2021/5/6 ウィーンとコーヒー | 福山機長の夜間飛行記録

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月曜日から金曜日までの毎晩放送されるラジオ番組"JET STREAM"のうち、福山雅治機長のフライト部分を文字に書き起こして写真を貼り付けただけの自己満足ブログです。(※特定の個人・団体とは一切関係ございません。)

ウィーンと言えば、ウィンナー・コーヒーを思い浮かべる人が多い事だろうが、これはアメリカンコーヒーと同じように、日本で生まれた言葉。


残念ながらウィーンでは、ウィンナー・コーヒーを飲む事はできない。


ウィーンで普通に飲まれているのは、エスプレッソか、これにミルクを加えたメランジェだという。


[メランジェ]


ところで、ウィーンとコーヒーは、切っても切れない関係がある。


実は、ヨーロッパで初めてコーヒーが飲まれるようになったのは、ここウィーン。


これには、歴史的な大事件が関係している。


今から338年前の7月、ウィーンの街を、30万のオスマン・トルコの軍勢が取り囲んだ。


世に言う、ウィーン包囲である。



[ウィーン包囲]


この時大活躍したのが、ゲオルグ・フランツ・コルシツキーという名の伝令。


[コルシツキー]


コルシツキーはトルコ語を巧みに扱い、包囲網を突破。


援軍を呼び寄せる事に成功。


こうして、トルコ軍は撤退する。


トルコ軍が去った後、ウィーンの人々が目にしたのは、沢山の袋。


袋の中には、奇妙な色をした豆が入っていた。


一体、この豆が何であるのか?


誰も見当がつかなかったが、トルコを旅した事があるコルシツキーには、この豆が何であるかすぐに分かった。


そこでコルシツキーは、こう言う。


「この袋に詰まった物を、望む人がいなければ、全て私が貰い受けましょう」


奇妙な豆が処分できるので、今回のコルシツキーの大活躍を思えば、誰一人反対する者はいなかった。


まもなく彼はウィーンに、"青いフラスコ"という名の、トルココーヒーを売る店を開いた。


これがヨーロッパで初めての、カフェだと言われている。


【画像出典】

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