前回の投稿後、何度か書こうと思うところまではいったのですが、これといって書きたいこともなく、投稿には至らずでした。
今日は珍しく、書きたい気分でした。
久しぶりに一人で過ごす夜。自分ペースで、自分とゆっくり向き合える良い時間です。
仕事では、集大成を迎える今年度。
おそらく今年度でお役目を終え、来年度は新天地で働くこととなります。
毎日働いていると感慨に浸るほどの余裕はないですが、時間と心に余裕ができた時にふと、「来年はこの仕事はしないんだな、最後だったんだな」と考えてしまうことがあります。
異動してきた当初は大変でしたが、今ではすっかり居心地の良い場所です。
今ではそれなりに認めていただけているという実感があり、やりがいがあります。
入院、手術、回復期、慢性期、リハビリ入院を経ての今。色々にも程があるくらい色々あった6年でした。
神経障害性疼痛と名のつく障害は治る見込みはなく、うまくつきあっていくしかないという現状。
この4年は、身体に無理なく働けるように勤務形態を配慮していただいています。
最近は障害について積極的には伝えていないので、知らない人もいるんじゃないかというくらいまで見た目は回復しています。
自分でも、障害を気にせず働けるのではないかと錯覚するほどでしたが、先日、調子を崩して医師に釘を刺されました。
いけると思っても負荷がかかりすぎると身体が悲鳴をあげます。神経の障害によって脳が起こす誤作動。電撃痛と過剰な筋緊張に襲われます。
先日の診察の際の、「配慮してもらっていないの?」という医師の言葉に、治らないという現実を再認識させられました。
やはり、配慮していただいた上でないと、調子良く働くことはできません。
見た目にはほとんど分からない障害ゆえ、積極的にアピールしなければ障害は理解されません。しかし、同じ雇用形態で働いている以上、障害をアピールするつもりはありません。障害者としてみられるのも本望ではありません。ただし、できないものはできないし、調子の良さを保つためのメンテナンスの時間を確保するために職場に迷惑をかけるのは避けられません。
診断書を提出するようになって、勤務時間中に通院するようになってからは、「サボりのお荷物と思われないように、自分の得意分野でアピールして、できることはきっちりやって周りに認めてもらうこと」を心がけてきました。
悔しい思いもたくさんしますが、嬉しい思いも楽しい思いも随分とさせていただいています。
時々メディアに出る主治医。
ふと、録画してあったものを観たくなって、久しぶりに再生しました。
テレビに映る先生は、今のイメージよりも若く、月日を感じました。
好きな番組を毎週録画していてたまたま撮れていた番組。放送された時は、まだ先生に出会っていませんでした。先生に出会ったのは放送の1年半後。先生が録画されていることに気づいたのは、その半年後くらいでした。不思議なご縁です。
4年経っても診察の間隔は変わりません。
随分と良くなったとは思うのですが、変わらずサポートしていただけていることに感謝です。
調子が良い時の診察日には、がんばっとるなぁと褒めていただき、調子が悪い時の診察日には、うだうだ言う私を絶妙な駆け引きでもう一踏ん張りさせてくださる。
先日の診察では、「もう治療解禁してー」とお願いして「我慢できんかったらやってあげるわ、喉元過ぎれば暑さ忘れるやで」と上手くあしらわれました。今はもう治ったので、次回の診察では、「もう大丈夫ー」って報告することになると思います。そして、先生に呆れられながら、「何やそれ」「ほらな」と言われている気がします。
治療法はないことはないけれど、対処療法にすぎません。一か八かで手術の選択肢もありますが、治る保証はなし。対処療法は一時凌ぎだと分かってはいますが、症状が続くと、とにかく苦痛から逃れたいという思いに駆られます。
それを分かっている先生は、治療にうんとは言いません。かといって否定することもなく、自分でやらないと選択させるように話をもっていく。
側から見たら、きっとコントです。
こんなたわいもない定期的なやりとりが、私の元気でいられる秘訣だったりもします。
さらに、心理的にもサポートしてくださる先生に、毎週ケアしてくださる理学療法士の先生がいてくださり、今の元気な私があります。
先生方の年齢的に、サポートしていただけるのはあと10年くらいでしょうが、まぁあまり先のことは考えず、1日でも元気な日が多くなるように、頑張りすぎずにやっていく所存です。
久しぶりのブログ。
自分の頭をすっきりとさせ、「頑張ってる、まだいける、頑張ろう」という、自己有用感を高めるためだけの記事でした。