【我が道】 七転び八起き

【我が道】 七転び八起き

自分が感じた事、思った事を綴ります。
思い出を残しておくための日記です。


外脛骨切除・腱移行手術から5年。
もう5年かぁと思うのが今の気持ち。
5年経っても、傷は傷のまま。痛い時は痛い。
しかし、この5年でできるようになったことがたくさんあります。手術をしていただけたからこそ味わえた、実りある5年でした。
手術を引き受けてくださる医師がいて、機能改善のために尽力してくださる医師や理学療法士、医療関係者の方々がいて、理解してくださる職場があり、サポートしてくれる近しい人達がいるからこそ今の生活があります。感謝です。

外見は小さい頃からあまり変わりません。長年会っていなくても、突然声をかけられることもたまにあります。見た目はあまり変わらないまま成長したけれど、物事の考え方はこの5年で結構大きく変わりました。もちろん、変えたいと思っていても変えられない部分もたくさんありますが…。
例えば、定年まで働くことが美学だと思っていましたが、最近はそうは思いません。辞めたいと思った時に辞めればいいと思っています。そのために、先を見越して資格取得に勤しんでいます。辞めたいけれど、次の仕事がないから辞められないということがないように、計画的に。あわよくば、やりたいと思っていた仕事につけるように。
就職した頃は身体の無理もききましたが、手術をしてからはそうもいかなくなりました。頑張りどころの仕事の前後は身体のケアに努めるようになりました。運動する時間やリフレッシュする時間を意識的にとり、無理がきかない足は理学療法士の先生のケアによって維持していただいています。頑張り過ぎていたら、病院の先生がストップをかけて下さる環境に身を置けていることも、ありがたいことです。

治らないことに腹を立て、不安を感じ、打開策を一生懸命考えたこともありましたが、今は、自分が最善だと思える環境に身を置き、なるべく後悔のないようにと思って生活しています。


前回の投稿後、何度か書こうと思うところまではいったのですが、これといって書きたいこともなく、投稿には至らずでした。
今日は珍しく、書きたい気分でした。
久しぶりに一人で過ごす夜。自分ペースで、自分とゆっくり向き合える良い時間です。

仕事では、集大成を迎える今年度。
おそらく今年度でお役目を終え、来年度は新天地で働くこととなります。
毎日働いていると感慨に浸るほどの余裕はないですが、時間と心に余裕ができた時にふと、「来年はこの仕事はしないんだな、最後だったんだな」と考えてしまうことがあります。
異動してきた当初は大変でしたが、今ではすっかり居心地の良い場所です。
今ではそれなりに認めていただけているという実感があり、やりがいがあります。
入院、手術、回復期、慢性期、リハビリ入院を経ての今。色々にも程があるくらい色々あった6年でした。
神経障害性疼痛と名のつく障害は治る見込みはなく、うまくつきあっていくしかないという現状。
この4年は、身体に無理なく働けるように勤務形態を配慮していただいています。
最近は障害について積極的には伝えていないので、知らない人もいるんじゃないかというくらいまで見た目は回復しています。
自分でも、障害を気にせず働けるのではないかと錯覚するほどでしたが、先日、調子を崩して医師に釘を刺されました。
いけると思っても負荷がかかりすぎると身体が悲鳴をあげます。神経の障害によって脳が起こす誤作動。電撃痛と過剰な筋緊張に襲われます。
先日の診察の際の、「配慮してもらっていないの?」という医師の言葉に、治らないという現実を再認識させられました。
やはり、配慮していただいた上でないと、調子良く働くことはできません。
見た目にはほとんど分からない障害ゆえ、積極的にアピールしなければ障害は理解されません。しかし、同じ雇用形態で働いている以上、障害をアピールするつもりはありません。障害者としてみられるのも本望ではありません。ただし、できないものはできないし、調子の良さを保つためのメンテナンスの時間を確保するために職場に迷惑をかけるのは避けられません。
診断書を提出するようになって、勤務時間中に通院するようになってからは、「サボりのお荷物と思われないように、自分の得意分野でアピールして、できることはきっちりやって周りに認めてもらうこと」を心がけてきました。
悔しい思いもたくさんしますが、嬉しい思いも楽しい思いも随分とさせていただいています。

時々メディアに出る主治医。
ふと、録画してあったものを観たくなって、久しぶりに再生しました。
テレビに映る先生は、今のイメージよりも若く、月日を感じました。
好きな番組を毎週録画していてたまたま撮れていた番組。放送された時は、まだ先生に出会っていませんでした。先生に出会ったのは放送の1年半後。先生が録画されていることに気づいたのは、その半年後くらいでした。不思議なご縁です。
4年経っても診察の間隔は変わりません。
随分と良くなったとは思うのですが、変わらずサポートしていただけていることに感謝です。
調子が良い時の診察日には、がんばっとるなぁと褒めていただき、調子が悪い時の診察日には、うだうだ言う私を絶妙な駆け引きでもう一踏ん張りさせてくださる。
先日の診察では、「もう治療解禁してー」とお願いして「我慢できんかったらやってあげるわ、喉元過ぎれば暑さ忘れるやで」と上手くあしらわれました。今はもう治ったので、次回の診察では、「もう大丈夫ー」って報告することになると思います。そして、先生に呆れられながら、「何やそれ」「ほらな」と言われている気がします。
治療法はないことはないけれど、対処療法にすぎません。一か八かで手術の選択肢もありますが、治る保証はなし。対処療法は一時凌ぎだと分かってはいますが、症状が続くと、とにかく苦痛から逃れたいという思いに駆られます。
それを分かっている先生は、治療にうんとは言いません。かといって否定することもなく、自分でやらないと選択させるように話をもっていく。
側から見たら、きっとコントです。
こんなたわいもない定期的なやりとりが、私の元気でいられる秘訣だったりもします。
さらに、心理的にもサポートしてくださる先生に、毎週ケアしてくださる理学療法士の先生がいてくださり、今の元気な私があります。
先生方の年齢的に、サポートしていただけるのはあと10年くらいでしょうが、まぁあまり先のことは考えず、1日でも元気な日が多くなるように、頑張りすぎずにやっていく所存です。

久しぶりのブログ。
自分の頭をすっきりとさせ、「頑張ってる、まだいける、頑張ろう」という、自己有用感を高めるためだけの記事でした。

有痛性外脛骨切除術、腱移行術から4年半。

1年ぶりの病院、先生。
毎年この日は色々な思いが巡って、感慨深い。
道中、好きなサービスエリアに寄って心躍らせ、病院の駐車場からみる綺麗な景色に心洗われる。
コロナ前、中、後、全ての時期を経験した病院。
毎年ちょっとずつ病院が変化していて、時の流れを実感する。
入院中の思い出、リハビリに足繁く通った思い出、診察室で話し込んだ思い出、色々思い出す。
手術前後の苦悩、回復過程を一番知っているのは先生かも。
今年の診察も異常なしで無事終了。また来年。
笑顔で診察室を後にできるのは、術後良好な証拠。
帰り道に思う存分寄り道して、リフレッシュ。
毎年の通院が、1年の成長を振り返る機会となり、感謝の気持ちを再確認できる機会となり、また1年頑張ろうと思える機会となっていて、私には大切な日となっています。感謝。

4年経っても傷痕が消えることはありません。
レントゲン写真から金属の影が消えることもありません。
元は利き足だった手術側ですが、筋力は今のところ反対側の足を上回ることはありません。
手術をしたという証は一生残るでしょうが、外脛骨の腫れや痛みからは随分解放されました。

出来にこだわらなければどんなスポーツだってできます。…たぶん。
とりあえず、外脛骨関係で今困っていることはないので、手術を決断してよかったです。
ここまでの過程に辛いこともあったので、積極的なおすすめはしませんが、私は結果的に良かったです。

ここ数年、診察の日は晴天。
心も晴れやかです。
また来年も、天気も心も晴れやかな診察日となりますように。
なるべくプラス思考で、元気に、楽しい日々を過ごしたいと思います。