祖父② 当たり前じゃなくなる時 | 遥か彼方から織りなす希望

遥か彼方から織りなす希望

きまぐれです。
よろしくお願いします。
(^○^)

こんにちは。バツイチの43歳独身男のいたろんです。 自分の離婚についてを整理する中で、自分の家族についてを良く考えるようになりました。これらの出来事を話していきたいと思います。

 

パチンコの帰り道で号泣した後、心が空っぽの状態になりました。

葬儀もほとんど覚えていません。涙も出ませんでした。

ただただ祖父との思い出を思い出していたのでした。

 

 

母方の祖父母は洋品店を営んでいました。

幼稚園の頃、母は店を手伝っていました。

自宅から祖父母の家まで自転車で30分ほどの距離。

幼稚園の帰りのお迎えはいつも祖父でした。

自転車で妹と2人乗せて、祖父母の家まで行っていました。

 

小学生の頃、洋服の直しを母の友人に頼んでおり、洋服を運搬するのは祖父の仕事でした。

ちょっと変わった風貌の祖父は、自分の友達が気味悪がっていました。その頃、祖父が他の祖父と違うことに気づきました。

 

年齢と共に少しずつ距離が離れていきました。

いつだったか、祖父から珍しく電話があり、近くで面白い自転車がたくさんあるイベントがあるから、行かないか?と誘われました。

すごく面倒で、行きたくないから断りました。

 

あれはいつだったか、祖父が体調が悪く退院したばかりの頃。

祖父が母と私を気にして、一緒に自宅まで送ってくれました。

母は体調も悪いんだから、大丈夫と何回も断っているのに、黙々と自転車をこぐ祖父。

自宅に着いたとき、母は泣いていました。


 

そんなことを思い出しながら、お経を聞いていました。

火葬場に向かう道中は、一番年上の孫である私が祖父の写真を持たされました。

母をその姿を見て、泣いていました。

いつも小さな私をおんぶしていた祖父。

そんな私が祖父の遺影を持つことに。。。

 

いつも余計な買い物をして、祖母に怒鳴られる祖父。

いつか、「じゃがいもはもう買はないでください」と張り紙がしてありました。

最後、祖父は病院にいくのを本当に嫌がっていたようです。体が思うようにいかないのに、買い物へ行ったそうです。

最後に買ってきたのは黒いマグカップ。それを置いたとたん、体が動かなくなって入院したようです。そのコップは今も仏壇にあります。

 

 

祖父が亡くなり、当たり前に存在している人が、存在しなくなる時が来ることを初めて学びました。

 

私が離婚する13年も前の話です。

 

知らなかった祖父の事実を知るのは大分後のことです。

 

~つづく~