八幡山城跡~西光寺~安土城跡~佐和山城跡~坂本城跡 ③安土城 | 樋口さおり/隠れ毒親育ちの悩みに寄り添うブログ【三重/鈴鹿・全国】

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日本カラーキューブセラピー協会認定セラピストのri-saです。

石川県加賀市・小松市・能美市を中心に活動しています。

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西光寺から安土城跡へ

唯一、石段から始まるお城です。

いやぁ~、かなり大変だと知ってはいましたが、かなりの迫力ですビックリマーク

ここを大手道と呼びます。

これだけの石を集めるのはやはり大変だったようで

石仏が、そこかしこに埋められていました。(墓石も使われているのだとか)

小さな賽銭箱が各々置いてありました。





登り始めると、左側に 伝 羽柴秀吉邸址(かなり広いです)





右に 伝 前田利家邸址と、なっていました。


伝 徳川家康邸址です。

聰見寺が移ってきています。




まだまだ、まだまだ登ります。



一段一段が高いので、この辺りまでくると

しんどい~ショック!と思ってしまいました。



伝 織田信忠邸址です。



まだ登ります。



織田信澄邸址、隣に森蘭丸邸址があります。










仏足石。

これも石垣に使われていたそうです。



本丸跡。

織田信長は、ここに天皇を住まわせようと思っていたみたいです。






天皇よりも高いところに自分が居る、といわんばかりにさらに登ります。



ここを上がって、やっと天主閣址です。

安土城では、天守ではなく、天主と書きます。



ここが、織田信長が住もうとしていたところです。

地上6階地下1階で、この場所は地下1階だそうです。




もっと大きな面積だったようですが、

廃城されてから長く足を踏み入れなかったため劣化が激しいようです。



天主から見下ろした景色です。



織田信長 本廟です。

しばし、浸る。



中には入れませんでした。

門には、人の名前とか掘ってあって(書くよりも悪質爆弾)、ちょっと興醒めしょぼん




聰見寺本堂址です。







天皇よりも上に住もうとしたり、

石仏でもおかまいなしに使ったり…

だから廃城してから長い間、誰も触れようとしなかったのでしょうねぇ。


驚いたのが、安土城跡は私有地だということひらめき電球

所有者のご厚意で、開城していただいています。

有難いことです。

だから、

頂上にトイレを作る必要はないし

観光地として整備する必要もないし

多少、跡地が崩れていても、修復に力を入れないのが納得です。

(実際はどうなのかは分かりませんが)


下山してすぐに筋肉痛ですショック!


あ~、来て良かった!!


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