労働の共有という観点から見れば、一個人
が複数の仕事をし、人よりはるかに多い収
入を得ていくことは個人の能力差による収
入の格差に直結する話になる。
個人の自由という観点から見れば、当然許
容されるべきパラレルキャリアも別の観点
から見れば疑問となる。
個人の能力差と収入の格差を是とするアメ
リカ型の労働の構造が日本に直で入り込ん
でも良いのか。
これは考えどころだ。
ただ、パラレルキャリアの元々示唆すると
ころは通常の仕事以外に、社会的な意義の
ある無・低収入のボランティア的な仕事の
拡大だと思われる。
これは副業の解禁という話とは別物と考え
たほうが良いであろう。
個人の職業生活の幸福は、内的キャリアの
充実を抜いては語れない。
その内的キャリアの充実のための方法がパ
ラレルキャリアだといっても過言ではない
であろう。
生活のための職業と自分の希求することの
ための仕事を並立させる方法がパラレルキ
ャリアだともいえよう。