過去のブログより。
昔、学生時代に某大学の学生と話したことに
ついて書きます。
その頃、私は経済学を学んでいました。
その学生も私よりは少し年上でしたが、同じ
ように経済学部の学生でした。
話しているうちに、「貴方が生涯やりたいも
のは何か」と聞かれました。
とっさに、そのころ熱中していたものに対す
る漠然とした希望を口にしました。
そして、次に現在、学んでいる経済学を選ば
なかった理由について聞かれました。
その時、経済学の理解には万巻の書を読まな
ければならないが、その努力が不可能だと言
って言い訳した記憶があります。
その時に、その学生からは次のような返事が
返ってきました。
簡単なものです。
「貴方がいま、熱中しているものに対しても
万巻の書を読むような努力が必要ではないの
かな。」
この言葉は、私を驚愕させました。
こういわれたことで、私は自分の希望が、底
の浅い、憧れに近いものであることに気付か
されたのです。
やはり、深い学びの場に生きている人々の発
言には重みがあるものです。
上記のことは、二つのことを暗示する。
一つは、人生観やキャリア観が成熟している
か、未成熟かの差ということ。
当然、上記の学生はこれが成熟していたので
ある。
もう一つは、努力力というようなもののキャ
パの差についてだ。
やはり、受験勝者の言葉には重みがあり何事
にも基礎として必要な努力が重要なことを簡
単な言葉で表してくれている。