過去のブログより。
「無頼」を辞書でひくと「無法な行いをする
こと」ということになる。
そして「無頼漢」は「ならず者、ごろつき」
とある。
しかし、もう一つの意味として「無頼」には
「頼るべきところのないこと」ともある。
従来良く言ってきた「ノマド」には、この
「頼るべきところのないこと」が多分に含ま
れていると感ずる。
例えば、場所にとらわれないことや、その本
質的に持つ独立志向、自由志向などが「ノマ
ド」にはある。
いま、世界はある意味で極めて狭い。
誰かが発想して発言したことが、いい意味で
即、世界を駆け回る。
こうした時代に対応できない「重厚、長大」
な組織や人はむしろ反「無頼」に多いのでは
なかろうか。
特に「大企業病」や「お役所仕事」という言
葉で揶揄される「頼るべきところ」の過多な
組織での仕事に忙殺されている人々には、い
い意味での「ノマド」をお勧めする。
少し、日常の自分を離れて、物を俯瞰的に見
て(あるいは客観的に見て)ものを考える時
間を持つことをお勧めする。
近年、官僚志願の学生が減ってきているとい
う、その理由の大きなものにモリカケ問題で
の官僚の忖度が上げられている。
日本の国家の大きな下支えであった強大な官
僚組織の崩壊が顕著になっていると思われる。
確かに、こうした時代に対応できない「重厚
、長大」な組織や人はむしろ反「無頼」に多
いのではなかろうか。
良い意味での「無頼」になり、個の力だけを
信じて戦いぬく人々の増加が社会を変えると
、信じたい。