たとえば知識や理論のようなものを共有する
ことはそう難しくない。
多くの経験やノウハウを有する先達が後輩に
知識を伝授していくことで社会に普及させら
れる。
そして、そのためには時間共有の場所とペー
パーと少しのツールの準備のみがあれば良い。
と、ここまでは簡単そうに見える。
そこからが、実は学習の困難さを物語る。
このことを実感したのは、つい最近の出来事
による。
ある研修を、我が組織で引き受けたことで実
に久しぶりにカウンセリング場面の再現を聴
衆の前で行うことになった。
そこで、カウンセリング場面の理想形をシナ
リオ化して二役の演習を繰り返した。
しかし、物事はそう簡単ではなかった。
二人の呼吸を合わせるだけでも相当数の練習
が必要で、かなりの部分を空でやれるように
なるまでに十回以上の練習回数を必要とした。
つまり、理論をうる覚えで分かるだけなら短
時間で出来るが、問題は「真に身に着ける」
ことが出来たか、ということだ。
実は、カウンセリングが技能であることを、
このことを体験するまでは忘れていた。
確かに、運動でも本で分かることは実際には
出来ないことの方が多い。
この膨大な時間の集積が真の知識の共有には
必要だということが、最近、幸運にも理解出
来た。