過去に、高校の進路指導部長に2人の有名人
が居た。
その方々は熱心で成果も上がっていたが、就
職率100%に向けての執念は見上げたもの
であった。
最後のひとりの企業面接会に同行しているの
はこの二人以外にはついぞ見かけなかったも
のだ。
この2人には最大級の賛辞が似合っている。
しかし、問題はあまた居る進路指導部長が何
故、最後の企業面接会にいないのか、という
事の方にある。
理由はいろいろと付けられよう。
しかし、前記の2人は就職率100%を達成
する数少ない指導者であるにも関わらず、最
後の数人のために手間暇を惜しまずに努力し
ているのだ。
自分の関わっている生徒のための最後の努力
が何故に出来ないのであろう。
こうした指導者の資質と熱意の差は平等を旨
とする教育の場では許されないとは感じない
のだろうか。
そして、教育の場には「コンピテンシー」と
いう現代的な概念は存在しないのであろうか。