あるブログから
教育現場においては、そのような自己啓発に
勤しむことを「出世意欲」に置き換えて冷や
かに見る人もいる。
また、「マネジメント」など民間的発想は教育
になじまないという人もいる。
それはもしかしたら一面真実かもしれない。
しかし、そういう集団から、激動する国際社
会という荒波に生徒を送り出すことができる
だろうか。
その責任の重さを自覚せずに、出口指導に明
け暮れるだけでよいのだろうか。
そういった社会に子供たちを送り出す我々に
は「働くことの意義」を語ること、そして、
自らそれを語れる生き方をしていくことが求
められると私は思う。
それは教師が聖人君子となれ、偉くなれ、と
いうことではない。
偉くないくせに教室で君臨する「いばりんぼ
う将軍」ほどイタイものはない。
我々は、自分が「足りない人間である」とい
う自覚から始まって、それを克服する努力を
し続ける姿を生徒に見せることが、キャリア
教育を語る資格を得ることではないかと思う
のだ。
多忙に過ぎると言われている教育現場に、こ
れ以上の負担を求めることは難しいのかもし
れない。
しかし、教育をする人間が自ら、自己研鑽意
識を捨て去っているのでは話にならない。
過去に、ある高校で「キャリアカウンセリン
グ」の話をしたことがあった。
10人ほどの参加で1時間強の話をした時に
2,3人が居眠りをした。
この程度の認識で参加している教師の多い、
この高校は、当然の結果として就職率が同等
の高校と比して最下位グループであった。
このような状況を変えなければ「キャリア教
育」の進歩はないと今でも思っている。