「無頼」を辞書でひくと「無法な行いをする
こと」ということになる。
そして「無頼漢」は「ならず者、ごろつき」
とある。
しかし、もう一つの意味として「無頼」には
「頼るべきところのないこと」ともある。
いずれにしても、あまり良い意味では使われ
ない言葉であろう。
一方、個人事業者や大きな組織に属さない人
間は自分や取り巻きの少数の人間以外に頼る
べきものを持たない。
その意味では、こうした人々は「無頼」のも
つ第2の意味の対象であると言えよう。
今回の首相関連の「お友達」や「忖度」の問
題を見ていて思うことは無頼の必要性という
ことだ。
問題の結末はいいとして、国会での役人の答
弁や自民党の幹部の物言いや態度には組織に
寄り掛かった、あるいは寄り掛からざるを得
ない立場の人々の同一性が見て取れる。
それは真実を正直に発言しようという誠意や
態度が感じられないことである。
これは多分、これらの人々にいい意味での「
無頼」がないからであろう。
また、役人の忖度には自分たちの矜持を失く
した醜さが表れているし、役人のトップ層の
汚職や失態が相次いでいることにもその矜持
の喪失が大きく影響していると思う。
こういう閉鎖的で不自由な世界に住まなくて
良かった。
あーあ「無頼」で良かった。