結局、花屋には行かなかった。
先日、
父から事務連絡的なメールがあり、そのついでにこう記してあった。
‥もうすぐ誕生日だね。父母から〇〇のケーキセットと赤い薔薇を一本、プレゼントします。‥
・・・(;´д`)・・
いったい、どこの父親が
三十路過ぎの実娘に薔薇を贈るだろう。
もちろん、実家から現物が届くわけではなく
私が、それら(某カフェのケーキセットと薔薇)を楽しむ資金を拠出してあげますよ、という
半ば冗談なのだったけれども、私は無性にせつなくなった。
私という子の親となってしまった両親に、しみじみ申し訳ないと思った。
この病を負ってから、15年目の春を迎えた。
あの頃はセーラー服だったのに、今やオバサンと呼ばれても文句は言えない。
だいたい、17歳の私が30過ぎの己をどんなふうに想っていたか
まったく想像がつかない。
興味がなかったといっても過言ではない。
なのに。
ひょいと思い返す自分が、どんどん離れてゆく。
間を埋める思い出が無さすぎる、
というより思い出したくない。
ここ数年は若干“それらしき”足跡を刻んできたように思うが
それは私のなかで未だ生々しく【今】であって、思い出すような穏やかさは帯びていない。
けれども
セーラー服からここに至るまで、15年という月日は確実に流れていて
(それはヒトが発生してからほぼ成人になる時間だ)
思い出したくないと断言してしまう、その永い時間を共有してきたのは
父であり、母であり、姉弟なのだった。
発病当初『お守り』と言って指輪をくれた、大学生だった姉。
『お姉ちゃん、死んじゃうの?』と、お風呂場で父にこっそり聞いていた、中学生だった弟。
(私は偶然、聞いてしまった。むかしから、こういうタイミングはよく合う‥合ってしまう。)
母は不眠症になり
父はストレス障害で通院までした。
あの頃
私ひとり、闇に居たのではなく
それぞれが、それぞれの立ち位置で闇を抱えていた。
家族であるがために。
同類の病を抱えた人の話に、家庭崩壊や離婚、離縁、関係の歪み、不信などを聞くことは少なくない。
本当に、よく耐えてくれたと思う。
これを原因とする殺人だってあり得るのだ。
繰り返し、本当によく耐えてくれたと
今はただ頭を下げるしかない。
姉弟は離れてゆくことができても
親はそれが許されない。
私のほうから離れてゆかねばならぬのに
私には未だ(呆れるほどに、未だ!)その力はなく
彼らを安心させることができない。
私は彼らに何をすることができる?
自らを犠牲にしてまで支えてくれた彼らに、私はせめて生きていることしかできない。
生きててよかった、とか
毎日が楽しい、とか
そんな台詞ひとつ言えないまま、今に至る。
嘘はつけない。
それでも。
今日、私の誕生日。
午前0時を回ってすぐに、メールが届いていた。
日が昇り、また届く。
ネットを開けば、メッセージが入っている。
それこそセーラー服時代からの親友から
つい先日、知り合った方まで。
途切れ途切れの15年間に、紡いでこれた恵みの縁が。
私の誕生日を、祝ってくれた。
私の誕生を、祝福してくれた。
驚くべきことだろうと思う。
私はただ居ただけなのに。
私は思った。
この幸せを、両親に伝えよう。
私を、こんなにたくさんの方々が見守って下さっていること。
私は、あなたたちのおかげで
今、ちゃんと、きちんと、生きています。
たくさんの方々が、応援してくれます。
私は、あなたたちに恥じぬよう
まっすぐ、まっすぐ、生きてゆきます。
ありがとう。
.。*:゚
お祝いメッセージを下さった皆さま
本当にありがとうございました。