前回あんなことを叫んでおきながら、こんなにお久しぶりになってしまいました!

 

物質世界の方では色々と現実化したいことが熟成してきて、

どうやらもうスタートを切る時期に突入したらしく

忙しいようなセーブしているような不思議な時間を過ごしています。

 

 

こんなに更新が滞っているのに、変わらずフォローし続けてくださる方々に

感動にも似た、深い感謝をしております。

 

 

どうぞこれからも更新はしていきますので、細く長くお付き合い頂けたら

私はとても幸せです。

 

さて、本題です。

 

 

この世界に生きるすべてのものが持つ、輝きとエネルギー。

 

そして時間でもある。

 

大切な人ができた時、自分の命は自分だけのものではないと知る。

 

命は時間で、時間は自分だけが体感できるものであり、

一人一人、重みや意味合い、体感は異なる。

 

同じ時間を共有しても全く同じ感覚で過ごすことはありえない。

至極似ているとしても、同じはない。

 

だから私たちは別々に存在している。

 

どう感じることも自由でどう消費していくのかも自由だけれど、

苦しんだ時、自ら時間をとめてしまう者がいる。

 

私もかつてはとめようと試みたことがあった。

 

その時の自分の過ごす時間の感覚があまりに痛くて苦しくて

息をしているだけで、涙が溢れて

息を吸うたび、大きな丸太の杭で胸を無限に打ち付けられているようだった。

 

それは大声で泣き叫んでも、布団の中にくるまっても

私が私として意識がある限り終わらない、そんな感覚だった。

 

今思い出しても胸が詰まるような、私の人生の中で大きくて特殊な「時間」だった。

 

 

現在の私は、誰かを守り育てる側にまわり、日々雑務に追われ、

この先の設定もクリアになっている。

 

忙しくも穏やかな時間を過ごしている。

 

だからこそ思う。

 

今あの時と同じように呼吸さえ苦しくなる時が来たなら

私はどう考え、どう行動していくだろうと。

 

答えは一つしかなくて

 

 

もし私が私の過ごす時間に苦痛を感じそれに耐えられず、自らとめてしまったなら

 

私を囲んでくれている沢山の人たちを悲しみの渦に突き落としてしまうだろう。

 

私一人が抱え込めなかった苦痛から

波紋のように更なる苦痛と悲しみを自ら広げてしまうことになるだろう。

 

私の命は私が思っている以上に大きな破壊力を持つ。

 

人間は、平穏無事に大きな衝撃は感じない。

衝撃は痛みや動きがある時感じるものだからだ。

 

だから、私の命があるうちは

 

私も、私の周りもそんな破壊力を想像出来ないかもしれない。

 

だけど、なくなったとき、

 

喪失感は深く大きく人の中に入り込んでいく。

まるで重油のように重くて黒いそして深く染み込んで行くように。

やがて昇華できる時が来るのかもしれないし、来ないかもしれない。

 

 

命は燃やすものだ。

 

必ずいつか燃え尽きるものでもある。

 

どんな瞬間も、怖がらず、味わって通り過ぎる勇気を

 

持ち続けよう。

 

 

あなたと、あなたの愛する誰かのために。

 

 

 

今日も最後まで読んでくださりありがとうございます。

 

あなたに素晴らしい風が吹きますように。