きっと誰にでも数名はいる、
アーティストや芸能人、著名人など、身近ではなく、
自分と生身で意識を交換していない、「好きな人」たち。
その「好きな人」が発している、自分に感じる好きなフィーリング
それは全て片鱗でしかない。
音楽家ならその奏でる才能、映画監督なら世界を見ている感性かもしれない。
その人から出るものはその人の内側にあるものもあれば
パイプとして通しているものもある。
人間である以上、パイプが無色透明など、まず無いのではないかと思うけど、
「絶対」もない。
他はマーブルになるけど、これだけはなぜかクリアに通せる、みたいなことも
個性であるかもしれない。
だから大好きだった人が、意外と悲しいことを平気で行うこともあるかもしれない。
そんな時ガッカリしてうっかり嫌いになりそうになるかもしれない
でも、それって勿体無い。
それはそれまで大好きな部分だけしか自分には見えていなかっただけで
生身のその人を知らなかった、ただそれだけ。
少し見えた範囲が広がって、さらにその人を深く知れたということ。
そう考えることができれば
人と人はもっと愛し合えるし、許し合える気がする。
国と国も然り。
もちろん身近な交流のある人同士でも同じことが言えるだろう。
自分の理想を押し付けてはいけない。
型にはめて、望んでみてもいけない。
だって自分がされたら窮屈だから。
「好き」という呪文のエゴだから。
今日もどんな行いをされた方にも、全ての人たちに
温かい光が降り注ぎますように。
全ての魂が癒され、光に包まれますように。