大人になり、役割が増えると、当然やることも増える。

 

 

人間の優秀なところは、自分の望む思いと実際の行動が変わってしまう時も

とりあえず合わせることが出来るところだ。

 

そうして人々は窮地を乗り越え命を繋げてきた。

 

 

身近で言えば、息抜きしたい時、

「チョコレートが食べたいけど、無いから今ここにあるクッキーで良いか」

なんてことは、日常に溢れている。

 

 

そんなことの積み重ねで、合わせることに慣れ、うっかり「妥協する」ことも

役割に入ってしまう事がある。

 

 

理由は様々で

 

惰性というもの、責任感というもの、

過去に妥協したことで困ってる誰かを助けられた経験から

自分の妥協は役に立つ、なんてのもあるかもしれない。

 

 

自分の気持ちに正直に生きる、とかありのままで、なんていうのは

 

そんな、役割にしてしまっている人に向けたメッセージなのでは?と思う。

 

 

役割のまま、健全に続けられるならそれは凄いことだと思う。

本音をちゃんと自分だけがわかるところに大切にしまって、

必要な時にサッと出せるのなら、それは一つの天から与えられた才能じゃないかと思う。

 

 

だけど、多分多くの人にとっては

妥協は重ねるうちに、だんだんと自分自身の本音を隠す作用も果たしてしまう。

 

そして自分も見失うくらい深く厚く塗り重ねられてしまう。

 

 

 

どうにもやる気が出なくて、

以前は出来ていたことが出来なくなってきた自分に気づいたら、

 

自分の役割に妥協を入れてしまっていないか、見直してみよう。

 

 

ここまで役割が多くなかった時代の自分を

思い出してみよう。

 

その時、していたことから始めているみると、意外と「事を起こすエネルギー」に

流れが出来て、動けるようになるかもしれない。

 

それは1日の始まりで言ったら

「家族のことから始める1日」から「自分のことから始める1日」に変えてみる。

 

多分小さなことで良い。

 

そしてそれは好きなことの中から選ぶこと。

 

例えばメイクやオシャレが好きな人は

自分のお化粧から始める、とか

今日付けるピアスを選んでからとかでも良いかもしれない。

 

コーヒーが好きな人は自分のためにちょっと良い豆で入れて、飲んでから。

 

自分のコレクションをショーケースから出して愛でながら手入れ、なんてのも

良いかもしれない。

 

それは特に

毎日の必要はなく、今日はそうしてみる、という気まぐれな行動でも良い。

 

自然が毎日同じ天気では無いように、

自分も毎日が同じである必要はないはず。

 

 

そして、やる気がどうにも起こらない時、

それを後に回しても誰も一先ずすぐに困らないのなら

一旦横に置いてみるというのも、

織り混ぜてみる。

 

 

 

一呼吸おくというのも実は大切だ。

 

 

 

生きる知恵でもある、「妥協」。

 

 

 

 

 

諸刃の剣にならぬよう、上手に妥協していきたい。