見えたことがあると言えば良いのか、感じたことがあるといえば良いのか。

 

子供の時、体の中に木の幹のように柱が入っていた。

 

考察に過ぎないけど、それが魂の形かなって思う。

 

 

私は特定の神様や仏様をご贔屓にしてはいないけど。

 

千と千尋的な、八百万に神様の存在は、信じている。

 

 

近頃は数学の世界でもこの目に見える世界以外の見えない世界が存在することが偉い先生方の中で証明されているらしい。

それがどこで何なのかまでは解明出来てないらしいけど。

3年前くらいに聞いた話だから今はもう進んでいるのかな?

 

とりあえず、私の信仰心はそんなくらいかもしれない。

 

人の「生」は団子みたいになっていて、今世が一つのお団子で

だんご3兄弟みたいに過去世、今世、来世、というふうになってるような気がしてならない。

丸いお団子が今世の肉体をひっくるめた人生として、刺さってる串は変わらない。

その串が魂というわけだ。

 

串と言うと貧弱だけど、串イコール柱として考えて。

 

 

色や形状(素朴な木の幹のようだったり、パルテノン神殿のようだったり、古代の出雲大社の柱のようなものだったりクリスタルだったり)大きさや醸し出す雰囲気はそれぞれの人生で培ったものが反映されて、優劣はなくただ存在する。

 

優劣(というか好み)を決めるのは自分の魂そのもので。

 

生きてる間に作り上げていく。

 

だったら、自分らしく生きるというのを徹底したら

私ならどんな柱になるだろう。

 

死んだらぜひこの考察があってたのかどうか答え合わせしたいと思う。