年末年始は…

 

やっぱり時代劇でしょうと KBS 久々の大河ドラマ

「太宗 イ・バンウォン」( 2021-22 KBS1 特別枠)32話

 

いきなり感想を書いてしまうと、手堅いけれどいささか急ぎ過ぎな印象。

 

高麗の将軍 李成桂(イ・ソンゲ)―後の朝鮮王朝 初代王「太祖(てじょ)」たちの引き起こした高麗滅亡の引き金となる実質的クーデター

1388年 威化島回軍(いふぁどふぇぐん)に始まり

 

1392年 高麗滅亡、朝鮮王朝創建

1398年 後継者争いを巡る第一次王子の乱、2代王「定宗(ちょんじょん)」即位

余計な事ですが、このドラマで最も膝カックンしたところ。

 

時代劇には「盾持つ乙女」の誘惑が付きまといますが、後の 3代王「太宗(てじょん)」の正室、

「元敬王后 閔氏(うぉんぎょんわんふ みんし)」が、それをしてはさすがにイカンでしょうに…

(パク・ジニ)

1400年 後継者を再び争う第二次王子の乱、3代王「太宗」李芳遠(イ・バンウォン)即位

1402年 後継者を三度争う趙思義(チョ・サウィ)の乱

1408年 「太祖」李成桂 薨去

 

更には

1418年 4代王「世宗(せじょん)」即位

1422年 「太宗」薨去までの34年を32話に詰め込んでいます。

 

つまり1話毎に約1年、時が進む計算。

もうスピード違反級です。

 

何だか教科書でもおさらいしている気分になりました。

別の言い方をすると、史実を記せばほぼネタばれ。

 

こんな調子なので登場人物がやたらと多い。

登場する王さまだけでも

 

1. 高麗 32代王「禑王(う わん)」

在 1374-1388年

(イム・ジギュ)

 

2. 高麗 33代王「昌王(ちゃん わん)」

在 1388-1389年

(キ・ウニュ)

キ・ウニュ(기은유 2013年1月17日生)は妹のキ・ソユ( 기소유 2017年2月16日生)と活動する子役俳優で、兄妹共演作も複数。

 

こちらが キ・ソユ

「三姉弟が勇敢に」( 2022-23 KBS2 )

主人公 キム・テジュの幼い時代

 

3. 高麗 最後の 34代王「恭譲王(こんやん わん)」

在 1389-1392年

(パク・ヒョンジュン)

 

4. 朝鮮王朝 初代王「太祖」李成桂

在 1392-1398年

(キム・ヨンチョル)

 

 

ちょっと寄り道。

キム・ヨンチョルといえば、王さま俳優として知られています。

今回の「太祖」を始め、朝鮮王朝に限っても

 

「バスキン・ロビンス(サーティーワン)中夕(ちゅそく)贈答用セット 『味が本当に良いね』」( 2019 )

 

「私の国」( 2019 JTBC ) 初代王「太祖」

 

「バスキン・ロビンス 中夕贈答用セット 『デザートにぴったり』」( 2018 )

 

「バスキン・ロビンス 中夕贈答用セット 『きみは私にモナカを与えた』」( 2017 )

 

「チャン・ヨンシル」( 2016 KBS1 ) 3代王「太宗」

 

「王女の男」( 2011 KBS2 ) 7代王「世祖(せじょ)」

 

「大王世宗」( 2008 KBS1 ) 3代王「太宗」

 

キムヨンチョルは本作を含め「太祖」と「太宗」を二度づつ、更には「世祖」と、五回も朝鮮王朝の王さまを演じているのでした。

なので入念にチェックしないと、ドラマの区別がつかなくなります。

 

「バスキン・ロビンス」のCMは以前、簡単な考察と共に取りあげました。

 

ちなみに、

 2020年「バスキン・ロビンス」中夕 CM は、チェ・ムソンを起用したホラー仕立て

「アイス松餅(そんぴょん)を配達で」

 

ついでに、

「太宗 イ・バンウォン」で「太宗」から「世宗」時代の忠臣、柳廷顯(ユ・ジョンヒョン)を演じたイム・ホの CM

「チャングムの誓い」( 2003-04 MBC ) 11代王「中宗(ちゅんじょん)」イメージと思えます。

 

またイム・ホは、

「太宗 イ・バンウォン」と同時代を描いた「鄭道伝(チョン・ドジョン)」( 2014 KBS1 )で、李成桂の参謀 ”圃隠(ぽうん)”こと鄭夢周(チョン・モンジュ)を演じていて、気を抜くと混乱しそうに。

 

「太宗 イ・バンウォン」と「鄭道伝」双方に出演する俳優が他にも多数。

 

中でも ソン・ドンヒョクは、

一貫して 李成桂の義兄弟 李之蘭(イ・ジラン)役。

「国民的 イ・ジラン」の称号を得ました。

(画像は「鄭道伝」)

 

 

いささか横道にそれ過ぎました。

「太宗 イ・バンウォン」王さまリストに戻り、

 

5. 「太祖」の二男、2代王「定宗」李芳果/永安君(イ・バングァ/よんあんぐん)

在 1398-1400年

(キム・ミョンス)

 

6. 「太祖」の五男、3代王「太宗」李芳遠/靖安君(ちょんあんぐん)

在 1400-1418年

(チュ・サンウク)

 

7. 「太宗」の三男、4代王「世宗」李裪/忠寧君(イ・ド/ちゅんにょんぐん)

在1418-1450年

(キム・ミンギ)

 

とまあ 7名もの王さまが登場します。

 

しかもこの時代は本名を隠し、称号や敬称で呼ぶのが一般的なのでもう大変。

このドラマの主役「太宗」李芳遠を例にあげると、

李芳遠(イ・バンウォン 本名)

「典理正郎(ちょるりじょんなん)」

「右副大言(うぶでおん)」

「靖安君(ちょんあんぐん)」

「靖安公(ちょんあんごん)」「判尚瑞司事(ぱんさんそささ)」

「世子 *(せじゃ)」邸下(ちょは) 

(王位継承権一位)

「主上(ちゅさん)」殿下(ちょな)

(現在の王)

「上王(さんわん)」殿下(ちょな)

(先代の王)

「太宗(てじょん)」(廟号)

と呼び方が変わります。

これはドラマに登場した分だけで、実際はもっと多い。

* 「定宗」からの王位継承は李芳果の「弟」李芳遠ではなく、形式的な「定宗」の養子「靖安公」が受けた。

これは上王「太祖」、兄弟の「父」李成桂の影響を排すため。

従って称号が「世弟」ではなく「世子」。

 

余計ネタですが、

「靖安君」李芳遠は、王の嫡子なのに「大君(てぐん)」ではない。

これは嫡子を「大君」、庶子を「君」と称する制度を設けたのが「太宗」自身のため。

 

それを受け、「太宗」の三男「世宗 忠寧君」の称号が「忠寧大君」に変わります。

なので正確さを期し「忠寧(大)君」と記述したりします。

(尚、本稿では全員「君」で通します)

 

「太宗」が上記注釈を含め、王子の序列を明確にしたのは自身の経験が大きく影響していました。

 

「太祖」李成桂の長男「鎮安君(ちなんぐん)」李芳雨(イ・バンウ)、二男「定宗」李芳果から五男「太宗」李芳遠、早世した六男の母

「神懿王后 韓氏(しぬいわんふ はんし)」

(イェ・スジョン)

 

「神懿王后 韓氏」は朝鮮王朝創建の前年、

1391年、李成桂の「郷妻(ひゃんちょ)」= 郷里の第一夫人として卒去。

 

翌 1392年、「太祖」即位の際に追尊されず、

 

「京妻(きょんちょ)」= 都の第二夫人

「神徳王后 康氏(しんどくわんふ かんし)」を正室に冊封。

(イェ・ジウォン)

 

それに伴い、末っ子の八男「宜安君(うぃあんぐん)」李芳碩(イ・バンソク)が「世子」に。

(七男「撫安君(むあんぐん)」李芳蕃(イ・バンボン)は、夫人が高麗の王族という理由で除外)

 

長男「鎮安君」李芳雨から五男「太宗」李芳遠は嫡子として、威化島回軍以前から「太祖」李成桂の功(いさおし)を支え続けたにも関わらず、結果は只の「前妻の子」扱い。

 

このねじれた構図が三度に及ぶ後継者争いを誘発。

「太宗」李芳遠はその苦い経験から、王子序列の明確化を図ったのでした。

 

ああ、ややこしい。

 

こんな調子でドラマを観ていると、ますます本筋からそれてしまうのでした。