前回まで、

羽田から鹿児島に到着

 

翌日の朝になりました。

 

昨日とは打って変わった晴天。

霧島連山の高千穂峰( 1,574m )が綺麗に見渡せます。

 

上記画像右上に搭乗予定機が飛行中。

羽田からの JAL645 便 B767-300ER JA603J 号機が、間もなく着陸します。

 

前便到着が 20 分遅れたため、鹿児島空港へのアプローチを観察することができました。

 

という訳で(どんな訳だ?)羽田に戻ります。

2022年10月 JAL646便

鹿児島 12:35 ⇒ 14:10 羽田

B767-300ER JA603J

JA603J 号機は国際線用スカイラックス搭載機 [ A41 ] として 2002 年に就航。

 

[参考画像]

往年の [ A41 ] スカイラックスシート。

(国内線運用時の撮影)

 

その後、現行の国内線F席搭載機 [ A25 ] に改修されました。

そして今回のお席は、国内線F席のクラスJ開放。

ただしこのお得設定は 10 月 29 日まで。

10 月 30 日の冬ダイヤから、羽田 ⇔ 広島/鹿児島にファーストクラスが導入されます。

 

[ REMOVE BEFORE FLIGHT ] タグが掲げられ、最終準備が整いました。

 

お見送りを受け、30 分遅れでの出発です。

 

鹿児島空港といえば、薩南諸島を結ぶ日本エアコミューター( JAC/JC )の本拠地。

出発を待つ JAC の ATR 機たち。

 

滑走路端で種子島からの JAC3762 便 ATR42-600 JA04JC 号機の着陸を待ちます。

そういえば JAC の島跳び路線にも、すっかりご無沙汰です。

 

遠く霧島連山を望み RWY16 を離陸します。

 

雲の影がかかってしまいましたが、鹿児島空港の全景を見ることが出来ました。

 

天降川(あもりがわ)流域に広がる霧島市中心部。

 

更に景色を期待しましたが、東に向かうにつれ雲が広がってしまいました。

 

デジタルカメラが明るさに騙され、ここから妙な色合いの画像が多くなります。

悪しからずご容赦くださいませ。

 

九州と四国を分ける豊後水道を越え、高知県の南西に伸びる大月半島(手前)。

大月ウィンドファーム/大洞山ウィンドファームの発電用風車群が確認出来ます。

宿毛湾(すくもわん)を挟んだ奥側は、愛媛県愛南町と高知県宿毛市の県境付近。

宿毛湾の東奥(画面右端)に四国八十八箇所、高知県最後の第 39 番札所、赤亀山 寺山院(しゃっきざん じさんいん)延光寺(えんこうじ)。

 

また、宿毛湾の北側(画面奥)に愛媛県最初の第 40 番札所、平城山 薬師院(へいじょうざん やくしいん)観自在寺(かんじざいじ)

 

大月半島の西沖、宿毛市の沖の島は、島嶼(とうしょ)部を含む四国かつ高知県最南端。

 

島嶼部を除く四国かつ高知県最南端とされる、土佐清水市の足摺岬。

弘法大師空海や、補陀落渡海(ふだらくとかい)にまつわる数多の伝説が伝わります。

実は足摺岬は「最南端」ではありません。

足摺岬から約 1,000m 西、伊佐漁港の西側「長碆(ながはえ)」と呼ばれる場所のほうが約 200m 南に位置します。

(左)赤矢印が長碆

(右)黄矢印が足摺岬

 

足摺岬の先端を目一杯ズームしてみました。

1914 年初点灯、断崖の上に建つ足摺岬灯台が確認出来ます。

現在の灯台は 1960 年に竣工した二代目。

灯台奥の長方形が、四国八十八箇所 第 38 番札所、蹉跎山 補陀洛院(さだざん ふだらくいん)金剛福寺(こんごうふくじ)

 

四万十市(しまんとし)、四国最長にして日本有数の清流、四万十川の河口付近。

細かなことですが、高知県には四万十川 中下流域の「四万十市」、中上流域の「四万十町」が隣接し、ちょっとややこしい。

もし四万十町が市制施行したら、名称はどうなるのだろう?

 

また、「四万十川」が正式名称となったのは 1994 年と比較的新しく、それ以前は「渡川(わたりがわ)」と呼ばれていました。

そのため現在も、河川管理上の水系名は「渡川水系の本流 『四万十川(渡川)』 」となり、相当にややこしい。

 

高知県のもう一方の有名な岬、室戸市の室戸岬。

 

室戸岬の先端を目一杯ズームしてみました。

手前のふたつの四角形が 1899 年の初点灯以来、今も原形を保つ室戸岬灯台。

山頂に建つのは、室戸岬特別地域気象観測所のレーダー施設。

灯台と気象レーダーの間に、四国八十八箇所 第 24 番札所、室戸山 明星院(むろとざん みょうじょういん)最御崎寺(ほつみさきじ)。

 

高知県の札所はここが最初。

上記した 38 番 金剛福寺を経て 39 番 延光寺まで、高知県を半周する土佐湾に沿い 16 の札所が続きます。

 

四国と紀伊半島を分ける紀伊水道を渡り、和歌山県 串本町、本州最南端の潮岬。

潮岬は左の砂州(トンボロ)でつながる陸繋島全体の名前。

最南端は左(西)手前の「クレ崎」

 

右(東)側の島は橋でつながる紀伊大島。

画面下端中央の突端が、最南端のクレ崎。

その内陸側の塔は、展望台の潮岬観光タワー。

上記画像左(西)手前の潮岬灯台は、1866 年に江戸幕府と米、英、仏、蘭との間で結ばれた、「江戸条約」により建設を約束した 8 灯台のひとつ。

1870 年仮点灯、1873 年初点灯。

現在の灯台は 1878 年に改築された二代目。

 

・ ちなみに江戸条約 8 灯台は潮岬灯台(和歌山県)のほか

 

・ 1869 年初点灯の観音埼灯台(神奈川県)

・ 1870 年初点灯の野島埼灯台(千葉県)

(両灯台を以前記事にしました)

 

・ 上記、紀伊大島東端(右端)に建つ、1870 年初点灯の樫野埼灯台(和歌山県)

 

・ 1871 年初点灯の神子元島灯台(みこもとじま 静岡県)

(神子元島灯台が登場する記事)

 

・ 1871年初点灯の劔埼灯台(つるぎさき 神奈川県)

右下端(東)が劔崎(つるぎざき)、左奥(南西)が三浦半島南端の城ヶ島。

航海の難所、東京湾入り口の浦賀水道を観音埼灯台と共に照らします。

 

・ 長崎港の入口を守る 1871 年初点灯の伊王島灯台(長崎県)

 

・ 島嶼部を除く九州最南端、大隅半島先端の佐多岬(左端)に建つ、1871 年初点灯の佐多岬灯台(鹿児島県)の計 8 か所。

 

いずれも航海の難所として知られています。

 

潮岬灯台から、すっかり横道にそれてしまいました。

 

つづきます。