04月01日といえば、いわゆるエイプリルフールですが、今年はネタも無い上にあまり笑える気分にもなれず、とても真面目な事を書こうと思います。

 

今からちょうど75年前の今日、1945年04月01日に起きた事。

 

沖縄本島中部西海岸

読谷から北谷にかけ、米軍を主体とする連合国軍(以下;米軍)の主力部隊が大挙上陸。

画面下が残波岬、右側の海岸線が上陸地点。

 

日本軍と米軍が正面から激突し、双方が多大な犠牲を払う事となる、沖縄戦(米軍名 [ Operation Iceberg ] アイスバーグ作戦)が本格的に始まった日でした。

 

04月01日の上陸以降、戦線は次第に南下を続けます。

 

現在の宜野湾市

普天間飛行場の南西にある嘉数高台(現;嘉数高台公園)を始め、

 

現在の浦添市

琉球王国王統の陵墓「浦添ようどれ」を含む前田高地(現;浦添大公園)

「米軍名 [ Hacksaw Ridge ] ハクソー・リッジ」

 

現在の那覇市首里大名町から首里末吉町

末吉宮のある大名高地(現;末吉公園)

 

現在の那覇市新都心

おもろまちの慶良間チージ(安里52高地 現;安里配水池公園)

「米軍名 [ Suger Loaf Hill ] シュガーローフ・ヒル」

 

そして日本軍の中枢、陸軍第32軍司令部が置かれた首里城。

 

現在の那覇空港の東側、豊見城市の海軍司令部壕を経て、

 

06月22日、日本軍は沖縄本島の南端近く、現在の糸満市、摩文仁の丘(現;平和祈念公園)まで追い詰められ、約3カ月に及ぶ戦いがようやく終りを迎えます。

 

沖縄戦については、以前ちょっと詳しく記事にしました。その第1回目

 

第2回 「僕らの住んでるこの街にも… たまには真面目に?中編」

 

第3回 「僕らの住んでるこの街にも… たまには真面目に?後編」

 

また、沖縄本島上陸に先立つ1945年03月26日

米軍は沖縄本島の西、慶良間諸島に侵攻。

 

米軍艦隊を迎撃すべく、石垣島を飛び立った若き飛行機乗りたちは皆、還らぬ人に。

 

石垣島の顕彰碑を訪れたのは、随分前となってしまいました。

 

昨今の情勢を「戦争」と形容する物言いが聞こえますが、勇ましさに呑まれず戦(いくさ)とは何か?という疑問符を、冷静に持ち続けたいなんて思うのです。

 

閑話休題、

こちらはトヨペット「コロナ」のハイパワーモデル

トヨタ 1600GT( RT55 1967年)

 

「コロナ」もといトヨタ 1600GT は、当時のツーリングカー(市販車)レースを席巻していた、プリンス(後の日産)スカイライン 2000GT( S54A/B 1964-68年)の強力なライバルとして登場。

 

「コロナ」に対抗するにはやっぱり「スカイライン」(^^ゞ

(共に石川県小松市「日本自動車博物館」所蔵車両)

 

戦いなんて、自動車レースを安心して観戦するくらいに収まって欲しいと願うのです。

とはいえ、世界中を転戦する二輪、四輪全てのカテゴリのレースが、昨今の情勢のあおりを受け、ほとんど中断に追い込まれています。

 

となると、安心してレース観戦をするためには、やはり目前の「戦い」に勝たねばならず…

こうして思いがどんどんと複雑になってゆきます。

 

とりあえず、「明日はきっと何かある 明日はどっちだ?」なんて叫んでみましょうか。