東京都品川区東八潮、お台場エリアの最西端に、鮮やかなアラートオレンジに塗られた船が停泊しています。

その船の名は PL107「宗谷」、建造から既に80年が過ぎました。
1938(昭和13)年にソ連向け耐氷型貨物船として建造されたものの、契約のもつれからソ連側に引き渡されず、旧日本海軍の特務艦(運送艦)として就役。
戦後は特別輸送艦(復員船)として、外地からの引揚者帰還業務に従事。
1950(昭和25)年に改装され、海上保安庁の灯台補給船 LL01「そうや」として日本中の灯台を巡ります。
その後、1957~58年の国際地球観測年( International Geophysical Year )に日本も参加しようとの機運が盛り上がり、「日本南極地域観測隊」が計画されます。
LL01「そうや」は南極地域観測隊の母船に抜擢され、大規模な改造工事の後
PL107「宗谷」として、初代南極観測船の大役を任されます。
白地に青とコンパス模様のファンネルマーク(煙突)が、海上保安庁所属の巡視船である事を示しています。

いきなり余談ですが、二代目「ふじ」以降の南極観測船は海上自衛隊所属の砕氷艦のため、ファンネルマークがありません。
(名古屋港の AGB-5001「ふじ」)

「ふじ」を見学した時の様子は、こちらの記事で。
宗谷に戻り、大改造された船首。
左側のリベット貼りが元の船体。
右の溶接構造が、砕氷能力向上のため形状を変更した部分。
水線上に重ね貼りした鋼板は補強用でしょうか。

船首部分の水面下は砕氷能力向上のため、こんな形になっています。

灯台補給船時代の LL01「そうや」
船首の形状が大きく異なります。

「日本財団図書館 図で見る“宗谷”の移り変わり-2」から図版を借りました。
復元力を高めるため、船体側面に設けられたバルジ(張出構造)。

バルジと上部デッキを支える、いささか武骨過ぎる造り。

船尾には、1958(昭和33)年後半に増設されたヘリコプタ用飛行甲板。
船の幅を大きくはみ出しています。

接舷時に張り出した飛行甲板が接触しないよう、
バルジ外側にパイプ製のごついバンパ?を装備しています。

スマートさとは程遠い異形の構造が、60年前の目的達成のための執念みたいなものを感じさせ、思わず見入ってしまいます。

1958(昭和33)年後半に飛行甲板を増設したのは、1958年初頭の第1次越冬隊の撤収が悪天候により困難を極め、かの有名なタロ、ジロを含む15頭の樺太犬を南極・昭和基地に置き去りにせざるを得なかった教訓から、空輸能力の大幅な増強を図るためでした。
南極地域観測隊の本拠地、東京都立川市の国立極地研究所には、1958年の出来事を記憶する樺太犬が今も群れています。
かつては東京タワーの麓にいましたが、2013年にこちらに引っ越して来ました。

極地研の展示施設「南極・北極科学館」を見学した時の様子は、こちらの記事で。
「皆さんこんにちは、私は『宗谷』の機関長。
後ろにいるのはシコルスキー S-58、日本名は HSS-1、
増強された空輸能力の要です。」

S-58/HSS-1 といえば、怪獣映画の常連でした。
爆弾を投下したりとか、あり得ない任務にしょっちゅう就いていましたっけ。
「ゴジラ」( 1954 東宝)に登場した S-58 の前型
海上保安庁の S-55/H-19 JA7153 号機
「はーい、私は航空長。
物資輸送や観測に欠かせない、航空部門の責任者。
HSS-1 は大き過ぎて、格納庫が無いのが難点でした。」

航空長さん、いくら防寒対策とはいえ、それでは単に怪しい人みたい…
大型飛行甲板を無理やり増設したため格納庫が設けられず、ヘリコプターは航海中も甲板に置きっ放し。
荒天時対応や整備は、さぞ大変だったと思われます。
「むむぅ~、儂が『宗谷』の船長じゃ。
機関長や航空長に先を越されて、ちと悔しい。」

船長さん、何とも濃いお顔ですねえ。ところで何かお話は?
追加装備の影響などもあり、「宗谷」はお世辞にも乗り心地の良い船では無かったようです。
「おいらはギターを抱いた、観測隊員。
今日も赤道の風が、ふぅ~ 熱いぜっ!」

宗谷には冷房設備が無く、熱帯域を通過する際には暑くて大変だったようです。
それにしても「宗谷」の船内には、個性的な方々が揃っています。
「あー、忙しい、忙しいっ!」
「ほい、ほいっと、一丁あがり~」

司厨部員さんたちは、今日も大忙し。
130名に及ぶ乗組員と観測隊員の食事を一手に引き受けていました。
「私は真面目な観測隊員。
『宗谷』の肝心な部分を、ご紹介。」

南極観測に従事するための大きな変更点。
出力約1,500馬力の蒸気機関を、新潟鐵工(現;新潟原動機)製8気筒ディーゼルエンジン2基に換装し、出力を2,400×2、計4,800馬力へと大幅にパワーアップ。
ちなみに現代の同規模のエンジンでは、1基で4,000馬力以上が可能。
技術の進歩ってすごいものがあります。

とはいえ、航続距離は蒸気機関時の5,000NM(9,260km)から、16,000NM(29,600km)へと大きく向上しました。
いくらパワーアップしたとはいえ、全長83m、総トン数2,734トンに過ぎない「宗谷」で、地球縦断に匹敵する、片道だけで2ヶ月を超える10,000NM(18,500km)に及ぶ大航海は、大変な事だったろうと思います。

地球上で最も荒天が続く海「Roaring Forties-吠える40度線」を越え、更にその奥の「Screaming Sixties-絶叫する60度線」南極海を渡るのだから大変です。
しかも、二代目「ふじ」からは砕氷時などに機動性が高い、ディーゼル・エレクトリック推進が採用されていますが、「宗谷」はディーゼル直結式。
出力制御も大変だし、エンジン負荷も相当なものだったと思います。
「宗谷」から50年の時を経て、2009年に就役した現役の南極観測船
AGB-5003 型砕氷艦「しらせ」(二代目)
全長138m、総トン数12,650トン
AC給電-インバータ制御ACモータのディーゼル・エレクトリック推進で出力30,000馬力と、大幅に能力が向上しています。

2018年4月、AGB-5003「しらせ」は第59次航海を終え、晴海に入港しました。
現在は第60次航海に向け、点検整備中でしょうか。
閑話休題、
現在の南極観測の原点ともいえる、1912年の白瀬矗(しらせのぶ)南極探検隊の「開南丸」は、全長30m、200トン級の木造帆船でした。

今から100年も前に、遠洋漁船を改造した3本マストの木造スクーナーで、南極海までの10,000NM(18,500km)を航海しただけで、もう十分すぎる大冒険です。
こちらが歴代の南極観測船
左下、「開南丸」全長 30m
右手前、PL107「宗谷」全長 83m
中左、AGB5001「ふじ」全長 100m
奥、AGB-5002「しらせ」(初代)全長 134m と大型化しました。

「宗谷」に戻り、ここはチャートルーム(海図室)。
1912年の「開南丸」から1956~62年の「宗谷」まで、あまり変わらなかったと思われるのが、天体観測を基に海図上で船の現在位置を決定する天測航法。

加えて「宗谷」の時代は、初期の電波航法「ロランA」が実用化された頃でしょうか。
現在ではGPSなど人工衛星を利用するシステムで、航法も格段に進歩しました。
また「宗谷」は航海中に、南極海域の海図作成のための測定なども行いました。
さすがは海上保安庁(日本での海図の元締めは海上保安庁)。
「宗谷」が測定したデータは、その後の南極観測に生かされています。
こちらは「宗谷」の通信室。
長距離通信も、現在では人工衛星を利用するシステムが実用化されていますが、
「宗谷」の時代には無線通信が頼みの綱でした。(長~短波通信かな?)

デスクの中央右に、電鍵(モールス符号を送出する器具)が装備されています。
無線電信が重要な通信手段だった事を感じさせます。
操船の中心となる操舵室(ブリッジ)。
遠洋航海をする船としては、相当にコンパクトかつシンプルです。

操舵室内には椅子が無く、操作は全て立って行ったようです。
双眼鏡を首に掛けた仁王立ちは、まあ「船乗り」のイメージにぴったりですが。
PL107「宗谷」は、1956年出発の1次隊から1962年帰港の6次隊まで、南極観測に従事しました。

南極観測船としての役割を後継の1965年竣工 砕氷艦 AGB-5001「ふじ」 に譲った後も、PL107「宗谷」は海上保安庁の大型巡視船として 1978(昭和53)年に至るまで現役を続けました。
エンジン換装を含む幾度もの大改造を行ったとはいえ、1938年の進水から40年に及ぶ現役生活は、艦船としてはかなりの長寿命でした。
(通常は20~30年程度で代替します)
余談ですが PL107「宗谷」の後を継ぐ、1978年に就役したヘリコプタ搭載大型巡視船 PLH01「そうや」は、40年を経た今も現役続行中。
まもなく、先代「宗谷」を超える現役生活の長さになりそうです。
海上保安庁にとり「宗谷/そうや」は、今や特別な意味を持つ存在かもしれません。
「宗谷/そうや」の頼もしい後輩、2013年就役の PLH32「あきつしま」。

全長150m、総トン数6,500トン、出力40,000馬力(推定)を誇り、ヘリコプタ2機を船上で運用可能な海上保安庁最大級の最新型巡視船。
高速航行向きの細長い船型など、駆逐艦に近い性能を誇る期待の後輩です。
おまけ
南極観測船に代々受け継がれる鮮やかな塗色、「アラートオレンジ」。

おっと間違えた、これはウチのオレンジ色の片手鍋だった。
南極観測船に代々受け継がれる鮮やかな塗色、「アラートオレンジ」。

視認性の高さからこの色が採用されました。
同じく視認性の高さから、航空関係では「インターナショナルオレンジ」が救難機などに使われます。
二代目南極観測船 AGB-5001「ふじ」搭載のシコルスキー S-61A

東京タワーの塗色も航空標識にならい、インターナショナルオレンジ/白です。
遠目に見ると赤/白に見えますが。
また、フライトジャケットの裏地は伝統的に「レスキューオレンジ」です。

遭難時にこの面を広げ、発見され易いようにとの工夫です。
レスキュー隊員の制服も視認性を高めるため、「レスキューオレンジ」が多く採用されています。
そういえば、1966年放映開始の「ウルトラマン」に登場する「科学特捜隊」の制服もオレンジ色でした。
科特隊はかなり先進的だったのかも。

何とはなし、オレンジ色が頼もしく思えてきます。
とはいえ別に、「オレンジ色の『憎い』奴」とは全く関係はありません(笑)



