レーシング・ドライバー墓碑銘in1985「シュテファン・ベロフ」 | たかのブログ
今週は久しぶりに何処にも出かけず家でのんびり本を読んでます。

「本」といつてもハード・カバーなどは余程興味がないと手に
しないタチなので、大好きなクルマの雑誌です。
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"Racing On"「特集ポルシェ956」6月1日発売

その雑誌の1コーナーに「シュテファン・ベロフ」というレーサーに
関する記事があります。
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シュテファン:ベロフ、1957年ドイツ生まれ。
私がベロフ選手のことを知ったのは1982年、ヨーロッパF2(当時F1より
一つ下のカテゴリー)で彼が走っていたとき。
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彼のヘルメットと同じようなカラーリングの真っ黒な「マウラー」のマシンは
多数派の「マーチ822」より断然カッコよかった。
体制的には充分といえないチームで2勝をあげ、「速い」ドライバーとの
印象を持ちました。
タイプ的にはこの82年に亡くなったジル・ビルニューブに似た勇猛果敢
なファイターで、私が好きなドライビング・スタイルでした。

84年にはワークス・ポルシェで956をドライブする一方、ティレルからF1デビュー。
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そして第6戦のモナコで伝説のレースの主役の一人となります。

大雨に見舞われたこのレースでトップを走りながら規定周回数に満たない
段階でお友達のジャッキー・イクス競技長(ポルシェではベロフのチーム・
メイトなんですが…)にレースの中止を訴えたアラン・プロスト。
そのプロスト駆るマクラーレンTAGポルシェよりも数段戦闘力の劣るマシンで
プロストを追いつめたのがトールマン・ハートの新人アイルトン・セナと
ティレルのベロフでしたが、競技中止の赤旗によって彼らの順位は2位、3位に
終わってしまいました。

でも、この日の主役はあきらかにセナとベロフでした。
マシン(特にエンジン)の性能差が発揮しにくい雨のレースで速い男こそ真の
「レーサー」なのだとこの日から私は確信するようになりました。


F1でのスケジュールを優先するため、チャンピオンに輝いたポルシェ・ワークス・
チームを飛び出した85年。彼の「ファイター」としてのレース・スタイルが
取り返しのつかない悲劇を生んでしまうことになりました。

プライベーターの「ブルン・ポルシェ・チーム」に移籍して臨んだ世界耐久選手権
の第7戦、美しいアルデンヌの森に囲まれたベルギーの超高速サーキット。スパ・
フランコルシャンの最もドライバーの勇気が試されるコーナー「オー・ルージュ」
に前年のチーム・メイト、ジャッキー・イクスのワークス・ポルシェに続いて2位で
進入したカーNo.19の彼のマシンは、わずかな隙をついてインに飛び込む。
しかし、2台は超高速で接触。
幸いイクスのマシンはランオフ・エリアでスピンした後リアからガードレールに
当たったためコクピットに大きなダメージはなかったが、ベロフのマシンは真正面
という最悪の角度でバリアに激突。
病院に搬送されたものの、ベロフは全身打撲のためほぼ即死であったとのことです。

その事故の顛末が、たまたまイクスのマシンに搭載されていた車載カメラによって
捕らえられていました。



この悲劇さえなければ、ドイツ人初のF1チャンピオンはシューマッハではなく、
このシュテファン・ベロフであったかもしれません。
惜しんでも余りある27歳での早すぎる死でした。