「本」といつてもハード・カバーなどは余程興味がないと手に
しないタチなので、大好きなクルマの雑誌です。

"Racing On"「特集ポルシェ956」6月1日発売
その雑誌の1コーナーに「シュテファン・ベロフ」というレーサーに
関する記事があります。

シュテファン:ベロフ、1957年ドイツ生まれ。
私がベロフ選手のことを知ったのは1982年、ヨーロッパF2(当時F1より
一つ下のカテゴリー)で彼が走っていたとき。

彼のヘルメットと同じようなカラーリングの真っ黒な「マウラー」のマシンは
多数派の「マーチ822」より断然カッコよかった。
体制的には充分といえないチームで2勝をあげ、「速い」ドライバーとの
印象を持ちました。
タイプ的にはこの82年に亡くなったジル・ビルニューブに似た勇猛果敢
なファイターで、私が好きなドライビング・スタイルでした。
84年にはワークス・ポルシェで956をドライブする一方、ティレルからF1デビュー。

そして第6戦のモナコで伝説のレースの主役の一人となります。
大雨に見舞われたこのレースでトップを走りながら規定周回数に満たない
段階でお友達のジャッキー・イクス競技長(ポルシェではベロフのチーム・
メイトなんですが…)にレースの中止を訴えたアラン・プロスト。
そのプロスト駆るマクラーレンTAGポルシェよりも数段戦闘力の劣るマシンで
プロストを追いつめたのがトールマン・ハートの新人アイルトン・セナと
ティレルのベロフでしたが、競技中止の赤旗によって彼らの順位は2位、3位に
終わってしまいました。
でも、この日の主役はあきらかにセナとベロフでした。
マシン(特にエンジン)の性能差が発揮しにくい雨のレースで速い男こそ真の
「レーサー」なのだとこの日から私は確信するようになりました。
F1でのスケジュールを優先するため、チャンピオンに輝いたポルシェ・ワークス・
チームを飛び出した85年。彼の「ファイター」としてのレース・スタイルが
取り返しのつかない悲劇を生んでしまうことになりました。
プライベーターの「ブルン・ポルシェ・チーム」に移籍して臨んだ世界耐久選手権
の第7戦、美しいアルデンヌの森に囲まれたベルギーの超高速サーキット。スパ・
フランコルシャンの最もドライバーの勇気が試されるコーナー「オー・ルージュ」
に前年のチーム・メイト、ジャッキー・イクスのワークス・ポルシェに続いて2位で
進入したカーNo.19の彼のマシンは、わずかな隙をついてインに飛び込む。
しかし、2台は超高速で接触。
幸いイクスのマシンはランオフ・エリアでスピンした後リアからガードレールに
当たったためコクピットに大きなダメージはなかったが、ベロフのマシンは真正面
という最悪の角度でバリアに激突。
病院に搬送されたものの、ベロフは全身打撲のためほぼ即死であったとのことです。
その事故の顛末が、たまたまイクスのマシンに搭載されていた車載カメラによって
捕らえられていました。
この悲劇さえなければ、ドイツ人初のF1チャンピオンはシューマッハではなく、
このシュテファン・ベロフであったかもしれません。
惜しんでも余りある27歳での早すぎる死でした。