昨日はこれで散々笑った
なんども読んで声出して笑った。



人様の息子をなんだと思っているのだろう。笑

そして、その人様の息子である黒田長政。
世間的にも例のあの兜

かぶと1
これである。
正式名称は
銀箔押し一の谷形兜(ぎんぱくおしいちのたになりかぶと)

かぶと2
どうやら、国宝らしいすよ、国宝。
一の谷ってのは源義経が源平合戦の時に駆け降りた
一の谷鵯越の逆落としに由来しているらしい。
だから大小はあるものの
こういった形状のものを「一の谷」系と呼ぶらしく
なんと、関が原ではかの家康公も喜び勇んで被ってたらしい。(知らんが)
それでもここまで大きいのは、この長政のものだけだったみたい。
じゃなきゃ、
ここまで注目浴びないやろ、長政。
当時の重さで3,100g。
どれくらいの重さかっていうと
大体出生時体重の平均が3,000gほどだから
生れたての新生児を頭に乗っけてると思っていただけたら
まあいいんじゃないのかね。
実際


とか、長政本人も言っちゃってるからね、ぶっちゃけ。
ちなみに、これ木製らしいよ。←史実

それでも、本当はこの兜
もともと福島家のものだったらしいよ。
朝鮮出兵の時に
何があったか知らんが、福島正則と仲が悪くなった長政。
しょ~もないことで(知らんが)揉めんなや!ってことで
竹中半兵衛の息子かなんかが仲を取り持って
その仲直りのしるしとしてお互いの兜の交換ってことで
こんな風に今になって
「長政の兜って何アレ・笑」とか言われちゃってんだから
しょ~もないこと(知らんが)で揉めない方が身のためだ。
それでも、その後、福島正則が信州川中島に引っ越したときに
「悪いけど俺の兜、返してくんない?」とかって申しでたってんだから
案外、長政も
「この兜ないわぁ・・・。被ってみたけど、無いわぁ・・・。」って
思ってたんだろうね、きっと。(知らんが)
でも、それすらも断られたってんだから
福島家も
「この兜ないわぁ・・・。作ってみたけど、無いわぁ・・・。」て思ってたのかも。
そうなると、仲たがいしたのも長政の兜狙いだったのかもしれない。
凄いぞ福島、何たる策士!!官兵衛もクリビツやわ。
ってか、
もともとの長政の兜だって

かぶと4
これだからね。
黒漆塗桃形大水牛脇立兜。
(くろうるしぬりももなりだいすいぎゅうわきだてかぶと)
長いわ、名前。
それでも、やっぱりこっちの方がかっこよろしいように思える。
ちなみに、
幽閉されたときに官兵衛を助けた荒木村重の家臣の子
官兵衛が養子に取り立てた
黒田一成の兜が

かぶと5
銀大中刳大たて旗脇立図形兜←たてって字が変換できなかった
(ぎんおおなかぐりおおたてものわきたてずなりかぶと)。
これも長い。
名前も長いが角も長い。
って、光成もそうだったけど
やっぱり、流行りってのがあったんだろうか。
長けりゃ偉いって感じだったのだろうか。

お友だちとの乙女LINE(岡田担当)でしばし、
あの兜はいかがなもんかと話し合ったんだけど
彼女の「なんかあんなサメいなかった?」の一言で
「ああ、しゅもくか。」という話になり
「ハンマーヘッドやで!」
「なんか、かっこいいな、ハンマーヘッド!!」
「もういっそ、カッコイイって事にしておこう。」
「桃李のためにもそうしよう」という結論に達した。

ハンマーヘッド

うん・・・・・・
カッコイイかどうかはビミュー。