小泉氏「批判あるのは当たり前」=安倍首相の「名指し反論」に苦言 | ねこ目

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小泉氏「批判あるのは当たり前」=安倍首相の「名指し反論」に苦言

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130618-00000091-jij-pol

 自民党の小泉進次郎青年局長は18日、安倍晋三首相がインターネット交流サイト「フェイスブック」で元外務審議官の田中均氏を名指しで批判したことに関し、「個人の名前を挙げて反論、批判はすべきじゃない。(首相への)批判はあって当たり前で、受け止めながらやっていかないといけない」と苦言を呈した。国会内で記者団に語った。

 小泉氏は「批判や中傷を受けながら、多くの方に信頼されるのが政治家の道だ。(批判を受けるのは)政治家の宿命だと思いながら、結果を出すことに専念した方がいい」と首相をいさめた。 

(以上、本文記事終わり)



【CCJE】スタッフより

>「個人の名前を挙げて反論、批判はすべきじゃない。(首相への)批判はあって当たり前で、受け止めながらやっていかないといけない」

名指しのどこが悪いのだろうか。反論して何がいけないのだろうか。

それが一国の首相、または政治家であれば、余計にダメなことなのだろうか。

「受け止めながらやっていかないといけない」のは当たり前のことで、政治家に限らず、国民一人ひとり、誰もがリスクをもって言動するのは国際常識ではないか。特にネット社会の今、人ひとりの置かれた状況はもっと変わっているはずなのに。

>「批判や中傷を受けながら、多くの方に信頼されるのが政治家の道だ。(批判を受けるのは)政治家の宿命だと思いながら、結果を出すことに専念した方がいい」

「宿命」と言えばいかにも腹を括っているように聞こえるが、筆者には「平和ボケか?」としか思えない。もっと言えば、それほど政治家だけが国を背負っているとでも思っているのかと言いたい。

自身の能力を活かす生き方をする人間なら、あるレベルを越えた時点から、やってることが社会にとってどんな意味を持つのか考えるであろうし、「このままではいけない」と思い悩むことも多々あるはずである。

この若き政治家の言う「多くの方に信頼されるのが政治家の道」とは、古い政治家の掲げる立派な?理想であって、現実に根ざした政治のあり方に思い悩む方の発言とは到底思えない。

多くの信頼(支持)を得ようと、越えなければいけない苦境を回避してしまうのがこれまでの政治。内閣が変わったたった半年で、「私の給料は変わらない!」と思う国民に対して、苦言を申す政治家こそが真のリーダーのはず。嫌われるのが怖くて、遠回りで曖昧な言い方に終始する政治家なんて過去のものと、小泉氏も分かっているはずだが。

特に今回の安倍首相のツイッター上の発言は、拉致被害者に関すること。過去に責務ある立場(当時外務審議官の田中均氏)として犯した過ちを名指しで批判することは、今後に繰り返さない為にも、また立場が変わったからと無責任な発言をしないようにさせる意味においても、一国のリーダーとして、拉致問題に本気で取り組むことの表れと感じるのは筆者だけであろうか。

言うまでもなくネット時代。駆け引きこそが政治、そんなスタイルは過去のもの。逆に誰にでも分る簡潔なメッセージをつねに発してこそ知的生産者。それがかえって物事を進み辛くすることもあるだろうが、それを乗り越えてしか気付かない時代の国民性もある。安倍首相には今のまま発言していただきたい。