少し宗教的な話になりますが
先日、住職から聞いた彼岸のお話
宗派によって、解釈が違うかも知れませんので悪しからず。
彼岸(ひがん)とは「悩み・苦しみ・迷い」などから脱した向こう岸
つまり、お浄土
対義語として此岸(しがん)
これは私達の今生きている、こちらの世界
秋のお彼岸は、秋分の日から前後3日間で計7日間ありますが
この7日間は、仏となった亡き人が残された大切な人へ
彼岸から此岸へ語りかけ、導く日なんだそうです。
たとえば
親族で集まり、お参りに行く
仏壇にお花を供える
亡き人を思い出す
など
これらは仏となった故人の、語りかけ・導きが有った結果で
お参りの時、南無阿弥陀仏と唱えますが
これも、語りかけの一つ
阿弥陀様の教え
「毎日、私(阿弥陀)の名前を唱えてください。
そして心に私を感じて、日々過ごしてください。
それだけで私は、あなたがお浄土へ来る時
私の許へ導きましょう。」
私が、お墓や仏壇の前で唱える「南無阿弥陀仏」
これも亡き人からの語りかけ・導きの賜物のひとつです。
なんか、住職みたいに上手く言えませんが
色々と住職のお話を聞いていると
「もっとしっかり、はっきりと南無阿弥陀仏を唱えなきゃな」
と思いました。
上記は宗教的な捉え方だけど
そうやって手を合わせて、南無阿弥陀仏を唱えて
そういう事を日々繰り返す事で
少しずつ心を整理して、前に進んでいくのかなと思います。
妻が亡くなって、通夜から始まり
初七日・二七日・三七日・四七日・五七日・六七日
そして七七日(満中陰)
その後に百か日
たくさんある法要、これも残された者が心を整理する為の行事で
故人の死を受け入れて、前に進むための区切り。
思い出して泣いたって良い。
少しづつ、一歩づつ、いつかまた再開する日に向かって
前を向いて歩いて行く。
決して忘れるという事ではなく、ブログのタイトルにも書いている
背負った罪は、罪として抱えて生きていく。
私が妻に望んだように、私は今の人生を精一杯生きる。
そして
妻がいなくなってからの事、出来るだけ楽しい事、幸せを感じた事
そんな思い出を沢山持って、いつか再開する日、妻に話そう。
自分勝手かも知れないけれど、此岸で会えなくなった妻の笑顔に会いに行く。
住職とお話ししてから、また少し前向きになった気がする。
そんな私の今日のブログでした。
いつも、いいね!やコメント、ありがとうございます。
皆様も前向きに、ほんの少しだけでも前進出来ますように。
その日々の積み重ねが、いずれ大きな前進に。