①「震災の話」
昨日、1月17日は。
31年前、1995年に近畿地方を襲った大災害
「阪神淡路大震災」
発生の日だった。
我が国に於いて、1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災以来、1964年(昭和39年)6月16日に発生した新潟地震をしのぐ規模の大震災であり、総合的に見た災害被害としては戦後最大と言われた。
私HARIMAは、その時首都圏で生活していた。
当時勤務していた都心の会社での同期の一人が結婚披露宴を予定していたが、私は、その二次会の幹事を任されていた。
その同期の出身が、兵庫県姫路市だった。
必然的に二次会で出席を予定されていた招待客の多くは、その方面=兵庫県在住の方々だった。
既に場所も人数も予約済だった。
ほぼ全員と言っていいキャンセルの発生が懸念され、普通は幹事の立場なら「勘弁してくれよ」と言いたい状況だが、それどころでは無かった。
きっと…………その時日本国民、いや世界に発信された1月17日朝のTVニュース画面を見た者は誰でも同じだったはずだが、それは目を疑うものだった。
「…………ウソだろ!?」
東映の怪獣映画か、戦争映画の爆撃シーンでしか見たことの無い光景が、無慈悲にも"現実である”ことをニュースは示していたのだ。
私は当時。
首都・東京に勤務していたことで、姫路出身の同期の披露宴二次会幹事の件のみならず、それを確実に思い知ることとなった。
大阪支店の先輩の家屋が倒壊したという。
御当人には都内で勤務されていた頃、私も御世話になり、その後大阪へ帰っておられていた。
全社で通達が有り、義援金を送ることとなった。
とにかく、犠牲者・負傷者の数!!
建物・道路・インフラの被害規模!!
全てに於いて阪神淡路大震災は………………
目を覆いたくなる、言葉に表せないショックとして列島を襲っていたのを記憶に残した。
翻り、専門家達のみならず一般論として展開していたのは
"大地震は海沿いに起こる”というジンクス。
大正の関東大震災から始まり、それまでの経過だけ見れば、なるほど海岸に面した平野部で発生していた。
震度は地殻・地盤の硬さが影響する…………という根拠の無い話を鵜呑みにし、安心?していた山間部の住人達は。
阪神淡路大震災の9年後に、それは間違いであったことを思い知ることになる。
新潟県中越地震。
2004年(平成16年)10月23日発生。
震源となった場所は、その名の通り新潟県のド真ん中の山間部に値する。
震源の深さ13kmの直下型地震。
阪神淡路大震災以来、観測史上2回目の最大震度7を記録した。
かく言う私HARIMAの自宅は震源地から僅か8kmの位置にあり、発生時震度5強を受けながら同等震度の余震が続き、避難を余儀無くされた。
震源地である北魚沼郡川口町(現・長岡市川口)は平らな場所のほとんど無い山間の集落。更にはコピー機・印刷機のサービスマンという仕事で私の通う顧客の密集した場所だった。
二カ所の農協支所、一つの中学校、二つの小学校、教職員組合。
私のサービス担当の機械を農協4台に学校関係6台抱えていた。
当時の川口町役場(現・長岡市役所川口支所)に設置されていた震度計は、地震発生時に壊れた為計測出来ない状態だったが、後に震度7であったことが判明する。
生命線である国道17号線の和南津トンネルが崩落し、関越自動車道も越後堀之内付近で長距離に渡り地割れ=道路が粉砕され、復旧の見通し等立たず。
震源地・川口町は"陸の孤島”となった。
それでも私は自身担当の機械の破損度を調査すべく、安全と見られる道路を迂回しながら川口町に入っていた。
正直、この震度を食らって無事な機械等ある訳が無い…………と覚悟する一方。
度重なる余震に、営業車を運転して無事に目的地へ辿り着けるか?
無事に帰れるか?
そればかりを懸念しながら回っていた。
特に"震源の真上”に建っている川口町立田麦山小学校と、そのすぐ隣りに建つJA北魚沼田麦山支所(いずれも当時)を巡る時は最も危機感を覚えた。
建物内部は勿論、田麦山地域へ向かう山道の崖崩れを最も恐れていた。
阪神淡路大震災で被害を大きくした要因の一つとして、その発生時刻がある。
一月の真冬で5時46分という早朝であった為、厳しい寒さの中、多くが暖房器具を使用していたことが影響した。
中越地震の場合は発生時刻が17時56分と、多くで夕食の準備が始まり火を使う時間帯だった為。
やはり大規模火災が発生してもおかしくなかったが、何故か火災も数件で終わった。
それは神戸や大阪といった密集地では無かった為だと言う意見があるが、私は単に"運が良かっただけ"と見ている。
中越地震で大きく震度の影響を受けた当時の主要都市のうち長岡市82,885世帯(人口約187,000人)、小千谷市12,375世帯(人口41,314人)、十日町市約13,000世帯(人口約43,000人)、これらだけでも"一斉に火を使う時間帯”であったことを考えれば、簡単に「密集地で無かった為、大規模火災は免れた」等とは決して言えないだろう。
震災の……以前に災害に対して思い込みやイメージで判断することは禁物であると痛感する次第である。
大都市だから…………
山間部だから…………
そんな人間達の既成概念等、地球は全く意に介さないのだ。
しかしながら、その中越地震でも阪神淡路大震災からの教訓やフィードバックは生かされた。
発生直後に必要な事物確保の確認と手段、インフラ復旧へのプロセス等、どうした段取りで行っていくべきか?時系列での計画が必須であるという最も大事な情報がもたらされたのだ。
だが、それでも阪神淡路のやり方そのものをダイレクトな手本に出来ない理由があった。
それは新潟県中越地方という場所が、全国有数の豪雪地帯であることだった。
当時、私の周りでも口々に言われていたこと。
「発生時が冬でなくて良かった」
という言葉だった。
それでも10月23日という日時は年によっては、この地域には初雪が降り積もるような寒さが襲う季節であり、特に家屋の倒壊した避難住民達は如何に暖を取るかが課題となった。
それ以上に、間もなく迎えなくてはならない雪の季節を如何に乗り切るか?が懸案事項となっていた。
比較的人口の多い小千谷市でも市街地で2メートルは積雪を記録する。
そうした積雪を、地震によってダメージを負っている建物・民家が耐えきれるか?という第二の不安が広まっていた。
更には、多く設営された仮設住宅も阪神淡路大震災の時の物と基本的に変わらない構造だったという事実も避難住民を不安にさせた。
実際に私自身も、そうした仮設住宅を幾度も訪れたが、耐雪の不安も去ることながら一様に結露が酷かった。
日本海側の冬は太平洋側の冬とは真逆で、湿度が非常に高い。
私の地元の友人が関東へ出たばかりの頃、下宿先の大家さんが
「冬は洗濯物が良く乾くから、いいね」
と上機嫌なのを見て
(何言ってんだ!?)
と耳を疑ったという。
日本海側の人間なら同調出来る話である。
事実、そうした仮設住宅での冬の環境が要因で体調を崩したり、一見分からないダメージを負った建物が積雪で倒壊し命を落とす犠牲者の発生が続いていた。
また、こちらでは欠かせない道路の融雪システムである消雪パイプは、地下水を汲み上げることによって稼働するものであった為、全面復旧にも時間が掛かり。
地割れを含め安全な冬の交通を妨げる結果となった。
このように、震災そのものの被害や危険とは発生時のみで終わるものでは決して無い。
阪神淡路大震災は近代に於ける地震災害の被害状況把握と復旧に関する礎を与えた。
また、言うまでもなく。
その後に発生した東日本大震災は、更に大津波と海岸設営の原子力発電所の危険性という課題を浮き彫りにすることとなった。
いずれの震災も…………
計り知れない多くの尊い犠牲を伴ったという事実。
それを永遠に風化させてはならない。
②「満員電車と山小屋」
インターネットを閲覧しても、最近目にするのが
「満員電車に揺られたり人間関係のストレスで都会の暮らしに疲れたので、自然の美しさに惹かれて山小屋番になった」
といった比較的年齢の若い方の綴るエピソードである。
意外に思われるかも知れないが、上記は私などには理解に悩む案件だ。
私は雪深い越後の山奥に生まれ、18歳の時に上京し高田馬場に一年住み。
その後埼玉県の都心通勤エリアに移り住んで30歳まで14年の歳月を過ごした。
その間、私鉄→山手線の他、営団地下鉄を乗り継ぐ満員電車に揺られて片道1時間半、往復で3時間という平日を8年間という限られた歳月ではあったが経験し、職種もOA機器のサービスマンという所謂"クレーム処理”の顧客回りで都心を飛び回る、まさにストレスの塊と言われた仕事に従事していたが…………
そんな"都会の暮らし”でストレスというものを感じた事等、30歳で故郷へUターンするまで一度も無かったのだ。
いや、私が意地っ張りだったりヘソ曲がりだったりするのではなく、本当に
"毎日が楽しくて仕方が無かった!”
のだ。
だから1997年11月1日から新潟での勤務先でスタートする前に、10月31日の定時までキッチリと都内・恵比寿の会社を勤め上げた。
別れの際、不覚にも涙が溢れた。
そんな私だから、満員電車も全く苦にならなかった。
車両の真ん中に立ち、吊り革に掴まらなくとも周囲の乗客が"物理的に”支えてくれるので楽に感じたし、居眠りさえも出来た。
降りる時は「すみませ〜ん」と大きな声で言えば、皆協力して貰えた。
営業車で都心を走り回っていても同じだった。
渋滞は当たり前。
5車線が一方通行で有名な水天宮前を端から端まで移らなければならない時も、車窓から右手を出し続けてアピールすれば、皆必ず道を開けてくれた。
ストレスを感じたのは、むしろ故郷へUターンしてからだった。
職場でも、視野が狭い人間、底意地の悪い人間が目立った。
趣味の関係で知り合った新潟市の方も言っていたが
「新潟県人の悪い所は"我慢・苦労を美徳”としている者が多いこと」
だと思う。
実家の母親がまさにそうだったが、
目的も明確でないまま"我慢の為の我慢""苦労の為の苦労”をするのだ。
そして、楽しそうにしている人間を
「楽をしている・苦労をしようとしない」
等と攻撃する(観光客は例外)。
思うに、豪雪地帯ならではなのだろう。
永く毎冬の除雪を苦に感じながら過ごすと、楽をしている人間が妬ましく思えて来る…………
本来なら、そのような感情は理不尽極まりないはずなのだが、そんなネガティブな感情がDNAとして引き継がれているせいかも知れないと私は思う。
所謂、美しい環境に恵まれていると言われ続けている田舎でも、そこに住む人の心まで美しいとは限らないのだ。
むしろ田舎より遥かに自由や個性が認められ、多様な価値観に満ち溢れる大都会の方が快適という意見もある。
話を戻すが、前述した山小屋番になった元・都会人の若者の主観についても、結局は個人の受け取り方の問題であり。
そこには山も都会も関係無いのだと私は言いたい。
③「"自然”という呼び方について」
最近、よく"自然との共存”という言葉を見る。
"熊との共存”等と声高に叫ぶ人達が居る。
メガ・ソーラーなんか造るのが悪い、生態系が壊れる……といった危機感?を露わにする人達も居る。
そもそも、東日本大震災で浮き彫りとなった原子力発電の脆弱性を補う為に選ばれた自然エネルギーとして太陽光発電が形となり実現されたのがメガ・ソーラーなはずだ。
それを当初"原発反対”と叫ばれていたのが、今度は"メガ・ソーラー反対”と言う。
社会インフラがAI・ロボットで埋め尽くされ、今後更に電力消費が増える計算の時世だというのに、ではどうしろと言うのだろう?
前述した"危機感”を叫ぶ人達は、スマートフォンやパソコンを使わないのだろうか?
全自動の洗濯機、電子レンジ、今や40℃クラスの最高気温の真夏であってもエアコンも使わないのか?
原子力発電とメガ・ソーラーを代替する電力を考え、用意できているのか?
私などに言わせれば、例え新宿副都心の高層ビル群であっても立派に"自然”であると考える。
雪山や種類豊富な木々等の生い茂る森、渓流魚の泳ぐ川ばかりが"自然”では無い。
高層ビルの建設も、ロボットの開発も、全て"自然なこと”なのだ。
人間が、より心地良い生活や人生を歩む為に行うこと・目指すことは、どれも決して間違いは無く"自然”なのである。
敢えて区別をするなら、人の手のかかっていない未開、或いは復元された自然環境を私は"野生”と呼ぶ。
"公害”という言葉がある。
"地球温暖化”"異常気象”という言葉もある。
それらは全て
「人間が、自然との共存を考えていないから起きているのだ」
と叫ぶ人が居る。
しかし、私は敢えて言いたい。
大自然に"共存”を人間ごときが求める等、おこがましいにも程があると。
大自然は"共存”が許される程生優しいものではない。
人間ごときが、この地球上で生きて行く為に必要なのは大自然と"闘う”ことであり"打ち克っていく”ことなのだ。
それは今に始まったことではなく、太古の時代から続く"人類の生き残る術”である。
大自然と闘い続け、一つ一つの難関を打ち克って来たからこそ人類の歴史は現在も続いているのだ。
先日、当ブログにてお話しした
「スキーの歴史」
についても同じことが言える。
太古の昔から、人類は大自然に対し畏怖の念を抱きながら暮らして来た。
共存等というものでは無かった。
恐れ慄きながら神を崇め、大自然に打ち克つ力を求めて来た。
雪国では、冬に大雪という大自然との"闘い”を続けて来た。
毎冬にもなる、その闘いに打ち克たねば明日をも知れぬ運命だったからだ。
その延長に、魚沼エリアのスキー事始めがあった…………それが真実だ。
スキー場を建設する為に、山々を切り拓いた。
もし、それを"自然破壊”と言う人が居たとしたなら、その人は真実を理解していないと言えるだろう。
工場を造った結果、二酸化炭素が放出されて地球温暖化に繋がった…………
私などに言わせれば、それも"自然なこと”だ。
それで台風発生の頻度が増えた、異常気象が増えたと言っても地球=大自然から見れば「屁」でもないこと。
よく"自然からのしっぺ返しだ”と戒めじみたことを言う人が居るが、何のことは無い
「人間にとって都合の悪いこと」
が生じただけのことである。
太古の人類が
「人間にとって都合の悪いこと」
に打ち克つ為に大自然と闘って来たように、地球温暖化が
「人間にとって都合の悪いこと」
なら、再び知恵を絞りつつ"闘え”ば良いのである。
野生動物の生態系を乱すことが
「人間にとって都合の悪いこと」
なら、やはり知恵を絞りつつ"闘え”ば良いのである。
そういう"闘う”心構えが無いと、頻発する大震災を始めとする災害に人間が打ち克つ等、到底不可能なことなのだ。
少なくとも、メートル単位の積雪の冬を越え続け震災や水害に遭遇して来た私などは、それを知っている。
繰り返し申し上げる。
大自然と"共存する”等という言い方は、おこがましい限りである。
大自然は、そこまで甘くはない。
「勝つ」のではなく「克つ」。
「戦う」のではなく「闘う」。
それだけを忘れずに人間は向き合えば良いと、私は考える。
「熊が可哀想だから人間は山里に住むべきでは無い」
と言う人は。
住所で大震災が発生したら
「人間は地球に住むべきでは無い」
とでも言えるのだろうか。
きっと私には。
八海山の山頂から見える風景も、東京都庁の最上階にある展望室から見える風景も、カテゴリーさえ違えど、その美しさは甲乙付け難く見えるに違いない。


