読者の皆様へ。
この度は私の青臭い初創作にお付き合いくださり、心より感謝申し上げます。
「Kikaider Student」
という、私小説で公に発表した初の作品の書き終えたタイミングで。
この処女作を披露する気になったのには理由がありました。
…………この物語の展開する舞台のように、私自身の過ごした新潟での10代の環境というのは自由奔放で「偏差値」という言葉さえ知らず。
地元高校を卒業後上京し、東京都内の予備校へ通うようになって初めて、その言葉を覚えたくらいでした。
なので「受験戦争」などと言われる"事象”に対しても、テレビか漫画の中の遠い世界にしか感じられなかったのを思い出します。
正直、勉強は嫌いでした。
高校へ進んだのも単に進路の幅が広がるからであり、進学したのも普通科高校といっても約9割方就職を目指す学校で。
自宅で机に向かった記憶は、中間・期末テストの前日くらい。
学校へは放課後の部活=美術部や、昼休みの図書室、そして中学から夢中になり続けていたRCカーレースや16で乗り始めたバイクの話をしに限られた友人達との語らいが目的で行っていたようなものでした。
その中には弊ブログにて度々RCカーの「勝負」で登場する三鷹(さんたか)も既に居ました。
あとは何も考えず、毎日・毎週のようにバイクで走り回る日々(雪が降るまで)を送っていたものでした。
こちらでは雪が溶ける春までバイクは"冬眠”ですが、その間、魚沼エリアのバイク少年達は「資金集め」に奔走します。
そう………スキー場でのバイトです!
リーゼント頭のままエプロンを着、ゲレンデの食堂やレストランで接客や厨房を手伝い、スキーで既に一級を持っている者はパトロール隊でスノーモービルに乗ります。
そうして冬の間稼いだ金を、自分のマシンのマフラーやクリップオンハンドル、バックステップといった改造パーツやら、稼ぎの良い奴は"新車”の購入に惜しげも無く使いました。
なので、当時は学校の中というより外で過ごす時間の方が大事でした。
仲間の割合は実業高校の機械科へ進んだ中学の同級生が多くいて、普通科には無い機械に関するスキルを持ってる奴ら。
そうした連中と一緒にバイクで峠へ走りに行き、それぞれのマシンの特性だったり、ライディング技術についてや恋愛といった少年らしい話題で行き付けの喫茶店にてディスカッションするのが楽しみであり。
有意義であり。
真の「学び舎」であった気がします。
〈バイクに夢中で毎日走り回っていた高校時代。峠の展望台にて〉

当時は、有り金のほとんどがガソリン代・エンジンオイル代・タイヤ代等に消え。
いつもボロボロの服を着てました(笑)。
しかし。
そんなのびのび暮らしていたHARIMA少年にも、文学というものに目覚める転機が訪れます。
そうした仲間うちで長い付き合いの一人である、某進学校に在籍していた友人が薦めてくれた一冊の文庫本。
それが片岡義男という作家の書いた小説
「幸せは白いTシャツ」
でした。
最初は
"読書なんざ、性に合わねぇ”
などとウソぶいていたHARIMAでしたが
「これはHARIMAも気に入るはずだ。
バイクも出てくるから」
という友人の言葉で、読んでみることにしたのでした。
その物語の主人公は20代の女性で。
1960年代のバイク、ホンダCB450に乗り。
単独でのツーリング先々で感じたこと・体験したことを、ただひたすら綴って行くだけ………といった内容でしたが。
当時「湘南爆走族」(吉田聡・著)等に代表されるバイク漫画ばかり愛読していた自分は。
文章だけで排気音、エンジンの鼓動。
タンクやハンドルといったパーツの輝き、流れていく風そのものまで表現出来てしまう"文学のマジック”に衝撃を受けます。
元々、数学で赤点をとりながらも
"バイク雑誌の編集者になること”
を視野に入れた進路も考え。
大学進学も頭の隅にあった少年HARIMAの夢は、これで確定し。
"文章のプロ”となるべく文学部を目指すことになったのでした。
しかし高校三年間ロクに勉強もせず、ほぼ遊び倒した結果、当然ながら私HARIMAは浪人となります。
厳格だった父親には
「おまえのような奴は、地元に居ても遊び呆けるだけだ!
一辺、受験地獄に落ちて来い!!」
と、半ば強制的に東京へと"飛ばされ”。
大手予備校の立ち並ぶ"大学受験の本場”高田馬場で寮に入り、一年を過ごすことになります。
その為に、地元に残して来たカノジョとも泣く泣く別れることにもなりました。
そうした、すったもんだを経て。
めでたく………いや、奇跡的に入学出来た板橋区にある某私立大学文学部日本文学科。
しかし………そこで感じたものは、想像とは違っていました。
いわゆる高偏差値?の大学受験の滑り止めとしても選ばれていたらしい我が大学で、私HARIMAは。
さしずめ"受験戦争に敗れた敗残者”気取りのネガティブ志向な学生を目にします。
「こんな大学に来たら人生おしまいだ」
「この大学は人生の終着駅だ」
などと。
自嘲なのか、ふてくされているのか、絶望の色を見せる学生達。
そうしたシーンを見る度、私HARIMAは憤りを超えた怒りさえ覚えるのでした。
確かに、私HARIMAはバカで能天気でした。
受験戦争なんかのストレスとは全く無縁に楽しい毎日を過ごして来ました。
だからこそ………学校名などには全くこだわらず文学部なら、どこでもいい!
入れただけでも幸せだ!!
そう喜んでいたのです。
そして……そう思えたのも、地元で働き続けている仲間達の存在によるものでした。
彼らは10代のうちに自らの生活設計として就職という重大な決断をしなくてはなりませんでした。
しかしながら皆、たまに帰省しても卑屈な様子は全く見られませんでした。
それどころか、欲しかったバイクや車を給料で手に入れたことを嬉しそうに報告する仲間達。
彼らは"自身の幸せとは何なのか”を、他と比べるような真似が、どんなにバカらしいことかを知っていました。
それに引きかえ。
何か目的意識を強く持ちながらの話は別として。
入った学校の名前だけで
"不幸だ、人生おしまいだ”
などと嘆く者達。
しかも、高卒・中卒で社会に出る仲間達よりも、少なくとも4年以上も猶予を与えられているくせに………
私は呆れ果てました。
本当に、情けない限りでした。
一方で、こうした、私などから見れば実に偏った価値観を植え付けられながら育った人達も被害者に思えます。
きっと、両親始め周囲が
「いい?学校に入れなければ、幸せになれない」
といった価値観を子供の耳に、あたかも呪文のように囁いて来たのでしょう。
更に………
そのようにして成長した子供もまた、相手の人間性そのものに向き合おうとせず。
学歴やモノといった"色メガネ”だけで人を判別する大人になります。
まさに悪循環です。
それこそが………
私HARIMAの経験して来なかった
"受験戦争” "受験地獄”
の本当の恐ろしさなのだと知りました。
米国や南アフリカ等の人種差別に顔をしかめながら、自分達もまた偏った価値観で"人間差別”をしている………
それが日本人の実態だとも思いました。
私HARIMAが。
大学三年生以上で所属する決まりである、教授研究室=ゼミナール内に於いて。
その文集に小説「旅立ち」を寄稿した目的とは、10代に送った若き日々への懐古と同時に。
今となってはおこがましい気持ちもありますが(笑)、前述した学歴社会に感じた違和感、閉塞感に対するアンチ・テーゼを叩き付けたものでもあったのです。
この感想をゼミ生は勿論、教授からも聞くことはありませんでしたが。
文学を「文章表現の芸術」とした新感覚派と、文学を「社会的啓発の手段」としたプロレタリア・アナーキスト達との対立となった大正〜昭和初期の兆候を卒業論文のテーマとした、私HARIMAの判断は間違いではなかったと自負した次第です。
〈「旅立ち」が掲載された文学部日本文学科研究室の文集〉

ここから全ての始まりとなります。
航空機で例えるなら、初飛行であり試験飛行(テストフライト)です。
試験飛行に於いて「Kikaider Student」は途中で不具合を起こすことも無く。
墜落することも無く。
8か月に及ぶフライトを終え、無事に着陸を果たしました。
今後は更に性能の良い機体を開発していく為、「Kikaider Student」という機体から得たデータを徹底的に洗い出し。
次へと向かうこととなります。
そして今回の「旅立ち」は。
試験飛行=実際飛ぶ前に、一旦組んでみて機体の強度や各稼働部分の状況を調査する為の、いわば初号機とも言っていいものでした。
初号機は飛びもしないばかりか、強度試験の為にワザと破壊されたりします。
私自身は、この「旅立ち」という初号機を数十年前に完成させながら諸事情により。
いわば"航空業界”から撤退を余儀なくされたのでした。
それから数十年の時を経て。
私自身の情勢が変わり、再び"航空業界”へと向き直る機会が生まれました。
この機会=チャンスを。
今度こそ逃さぬようにしたいと願っています。

