風・雪・海・空。ハインケルーパーの独り言 -47ページ目

風・雪・海・空。ハインケルーパーの独り言

風・雪・海・空。


その軽やかさと勢い、風の如く。

その重きこと・染み渡ること、雪の如く。

その思慮深きこと、海の如く。

その志高きこと、空の如し。



そんなブログを目指して行きたい。

(前回より続き)

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……オリンピックで果たしたかったこと。故郷への思い。そして後へと続く、子供達への思い。

彼女がそれまでマスコミに口にしなかった気持ちというものを、私は間近に聞くことができました。

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〈地元ジュニア選手から花束を受ける小野塚選手〉

……思えば。
同じ新潟県の上越市に於いてレルヒ少佐が日本初のスキー伝承を果たした昔から、この魚沼エリアにはスキーがありました。
また、私の祖父の時代からスキー競技が行われて来ました。
新潟県は父の時代に全国大会で強豪となり、アルペンとクロスカントリーでは負けることが許されないとも言われてたそうです。
世界の舞台へも魚沼エリアから何人もの選手を輩出してきました。
私と小野塚選手の故郷、南魚沼の旧塩沢町も'70年代からノルウェーのリレハンメルと姉妹都市関係を、'80年代からオーストリアのセルデンと姉妹都市関係を結び交流することによって産業として、また競技としてスキーの強化を試みました。
しかし、そうまでしても……国内でNo.1になれても。
世界の壁は崩せなかったようです。

世界と闘ってきた魚沼エリアの先輩達の流した、たくさんの悔し涙に。
小野塚選手は、報いてくれたと思います。
今、彼女は日本のハーフパイプ競技の先駆者として、また新潟県のスキー競技の歴史を変えた者として。
伝説となりました。

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そして彼女本人が言っていたように、この偉業は魚沼エリアを、新潟県を愛して下さる皆さんの支え無くしては叶えられませんでした。
真っ先に小野塚選手後援会会員となられ彼女を支えて頂いたkurolynさんには、感謝の言葉も見つかりません。
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〈青いウェアがkurolynさん〉

……この場におられた新潟県知事と南魚沼市長に、これからのスキー競技の発展の為の具体的要望、彼女だからこそ言えることをハッキリと提言してのけた小野塚選手。
まだ25歳の彼女が、スキー界の若きエースとして更に躍動していくことを私も願って止みません。
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今日…3月22日。
私は南魚沼の石打丸山スキー場にて、アメブロガーのkurolynさんとyoshiさん夫妻と御一緒に楽しい時を過ごさせて頂きました。

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私のホームゲレンデと違い、ここはいつも都会の喧騒のように賑やかなゲレンデです。

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しかし、今日は更に人の勢いを感じられた日でした。
それは……このゲレンデで育った一人の女性が、凱旋して来たからでした。
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ソチ・オリンピック。
フリースタイル・スキー女子ハーフ・パイプ日本代表。

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彼女の姿を一目見ようと、スキー場中央のハーフ・パイプには私達含め大勢の皆さんが駆けつけました。
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……その群集の中に、決して大柄ではない見覚えのある黒いヘルメットとグレーのウェア。
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銅メダリスト。
小野塚彩那!

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彼女は地元ジュニアの子供達一人一人丁寧にハーフパイプの指導を行った後……
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地元テレビ局アナと来賓達とともに、祝賀ステージにてトークを行いました。

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〈サングラスの男性は泉田祐彦新潟県知事〉

ステージにて着席した小野塚彩那選手。
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その姿は凛とした少年のようにも見えました。(続く)
……今日は冷たい雨でしたが、昨日は暖かい晴れ間が広がった小出口沿線。

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晴れの日は、雪が映えます。

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〈13:43 JR上条~入広瀬駅間〉

どんなに雪深い春の日でも。
人々は生きていますね。

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〈10:38 JR藪神~小出駅間〉


……ディーゼルエンジンの太い吼え声も、重い車体がレールを叩く音も。
何も聞こえない白い世界を淡々と進む二両編成。

春の冷たい雨は雪よりも厳しいです。
……未だ雪深い山あいの無人駅にて。

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思い起こせば……卒業式も終わり、次へ進む道も決まっていた、高校生最後の春休みというのは。
地元の仲間達と「少年として過ごす」最後の機会だったかもしれません。

特に当時の私の周りも就職する者と進学する者、さらにその中で地元に残る者と他地域へ行く者と分かれていましたので、本当に4月からバラバラとなりました。

最後の春休みのある日。
私の友人・三鷹宅に皆で集まって、夜通しバカ騒ぎしました。
世が明けると、まるでこれまでと同じ生活が続くかのように普通に帰って行ったのを覚えています。

一週間後。
私は生まれて初めて親元から離れ、予備校生となるべく上京して行きました。


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〈10:15 JR上条駅〉

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それまで皆とともに歩んで来た一本の道は、それぞれに枝分かれして伸びて行きました。


……明日と未来しか見えていなかったあの頃。
今、振り返ると気付く。
幾つものメモリアルと、ともに歩んだ一本の道。

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