
……オリンピックで果たしたかったこと。故郷への思い。そして後へと続く、子供達への思い。
彼女がそれまでマスコミに口にしなかった気持ちというものを、私は間近に聞くことができました。

〈地元ジュニア選手から花束を受ける小野塚選手〉
……思えば。
同じ新潟県の上越市に於いてレルヒ少佐が日本初のスキー伝承を果たした昔から、この魚沼エリアにはスキーがありました。
また、私の祖父の時代からスキー競技が行われて来ました。
新潟県は父の時代に全国大会で強豪となり、アルペンとクロスカントリーでは負けることが許されないとも言われてたそうです。
世界の舞台へも魚沼エリアから何人もの選手を輩出してきました。
私と小野塚選手の故郷、南魚沼の旧塩沢町も'70年代からノルウェーのリレハンメルと姉妹都市関係を、'80年代からオーストリアのセルデンと姉妹都市関係を結び交流することによって産業として、また競技としてスキーの強化を試みました。
しかし、そうまでしても……国内でNo.1になれても。
世界の壁は崩せなかったようです。
世界と闘ってきた魚沼エリアの先輩達の流した、たくさんの悔し涙に。
小野塚選手は、報いてくれたと思います。
今、彼女は日本のハーフパイプ競技の先駆者として、また新潟県のスキー競技の歴史を変えた者として。
伝説となりました。

そして彼女本人が言っていたように、この偉業は魚沼エリアを、新潟県を愛して下さる皆さんの支え無くしては叶えられませんでした。
真っ先に小野塚選手後援会会員となられ彼女を支えて頂いたkurolynさんには、感謝の言葉も見つかりません。

〈青いウェアがkurolynさん〉
……この場におられた新潟県知事と南魚沼市長に、これからのスキー競技の発展の為の具体的要望、彼女だからこそ言えることをハッキリと提言してのけた小野塚選手。
まだ25歳の彼女が、スキー界の若きエースとして更に躍動していくことを私も願って止みません。




























