今日。
10月23日は魚沼エリア含む新潟県中越地方にとって、決して忘れ得ぬ日です。
9年前の2004年10月23日。
午後5時56分。
私の暮らす、新潟県中越地方の大地の底が、暴走を始めました。
新潟県の中央に程近い、旧・北魚沼郡川口町(現・長岡市)を震源とする、マグニチュード7の直下型地震発生。
後に「新潟県中越地震」と命名される大地震は、夕闇の越後路を恐怖のどん底へと突き落としました。
ここは9年前まで長岡市と小千谷市を結ぶ信濃川沿いの国道が通っていた場所です。
現在は、御覧のような小さな公園となっています。
この公園は、新潟県中越地震の遺構として残されています。
今日も新潟県知事をはじめ、多くの方々が献花に訪れています。
なぜ、ここがそうなったのか。
それは地震発生時に起きた、ある親子の悲し過ぎる出来事によるものです。
2004年の10月23日。
良く晴れた土曜日でした。
魚沼市に住む、39歳のお母さんと3歳のお姉ちゃん、2歳の男の子の親子は新潟市方面にドライブに行きました。
思いっきり楽しんで、もう夕暮れに近くなり、お母さんは急いで魚沼市の家へ車を走らせていました。
途中、長岡市と小千谷市を結ぶ近道として、魚沼エリアの人なら必ず通る妙見(みょうけん)の信濃川沿いの国道にさしかかりました。
そこは道路の片側は信濃川、反対は切り立った崖がそびえ立って続く道でした。
晴れた日の夕暮れは、信濃川を照らす夕陽がとても綺麗な道です。
でも、この時は少し時間が遅すぎました。
お母さんの運転する白いワゴン車が、この崖道の半ば頃に差し掛かった時です。
午後5時56分。
突然道脇の崖が。いや山そのものが。
轟音を立てて崩れ出しました。
ほんのあっという間のことだったようです。
おびただしい大地の土、泥、煙、そして。
最大直径10メートル以上にもなる巨大な岩の塊が次々と崩れ落ちて。
親子の乗った車を、ひとたまりも無く。押し潰していたのです。
現在は山を切り通し、新たに国道を通していますが・・・・・
行く先は崩れた山で埋もれています。
親子の家路となるはずだった行く先の道路も、土砂や岩で押し潰されて川岸まで流されていました。
ここも当時のままです。
・・・・・地震発生直後に、この親子が行方不明であることがニュースで報道されました。
県内各地の道路がパニック状態だった為、どこかで待機しているのでは?とも、皆はとにかく無事を祈っていました。
しかし。
この妙見の山崩れ現場で、巨岩の僅かな隙間から白いワゴン車の横腹が発見され。
ひっきりなしに襲う震度5以上の余震の中、新たな崩落の危険を顧みず4日以上の懸命な救出活動を行った東京ハイパーレスキューの隊員皆さんのおかげで、無惨に潰れた車内の運転席から、最初にお母さんが助け出されました。
しかし・・・・・お母さんは亡くなってしまっていました。
3歳のお姉ちゃん。2歳の男の子。二人の幼い命は・・・・・避難所のテレビで、私やみんなは固唾を飲んで見守っていました。
すると。
「生きています!」
テレビのレポーターが叫びました。
4日間も土砂に埋もれながら、2歳の男の子が生存していたのです。
男の子だけが、車内から放り出され岩と岩の隙間に居たそうです。
隊員にしっかりと抱きかかえられながら、男の子はしっかりと両目を開いて意識もはっきりしているようでした。
そして、お姉ちゃんは・・・・・
車の後部座席で発見されましたが、既に亡くなっていました。
ハイパーレスキューの隊員皆さんは懸命に、続けてお姉ちゃんを助け出そうとしましたが、度重なる大きな余震の為に現場状況が悪化し、お姉ちゃんを残して一時撤退せざるを得ませんでした。
男の子は病院に搬送され、大きな怪我も無く予想以上に体調も良いことがわかり、しばらく入院の後魚沼市のお家に帰ることができましたが、大事な、大事なお母さんは無言の帰宅でした。
現場の安全確保ができないまま、地震発生から16日もの間。お姉ちゃんの遺体は独り残されていました。
何と寂しかったことでしょう。
地震発生から17日目に、ようやく。
お姉ちゃんもお家へ帰ることができました。
向こうに見える巨大な岩山は、9年前まではありませんでした。
この岩山の真下に国道が通っていました。
その国道は、かくいう私自身も毎日通勤で使っていた道でした。
その日、私は非番だった為自宅に居て助かりましたが、不定期で土曜日出勤の日もあります。
土曜日は仕事が早いので、帰りはちょうどその時間に通ることとなります。
もし。その日私が出勤だったなら。
私も今、ブログを書いていなかったことでしょう。
新潟県中越地震は、そのエネルギー、震源の位置、発生時刻からして大規模な火災発生の可能性もあり被害拡大が予測されましたが、一方で結果的に想定された規模の被害を免れたともいいます。
それは、豪雪地帯の為もともと建物の構造が標準よりも頑丈に出来ているということと、古くから雪害など自然災害にさらされてきた土地柄な為、住民の防災意識が高かったからだとも聞きます。
しかし、それでも尚、68名もの尊い命を奪った震災となりました。
この震災にて、私自身がどのように過ごしてきたかは、幣ブログ過去の毎年10月23日付記事に記してあります。
今日の新潟県中越地震震源地、川口の様子です。
毎年の記事の通り、今年も川口の皆さんは各家々や職場で、御覧の黄色いハンカチを掲げています。
・・・・・奇跡的に助かった、当時2歳の男の子は。
現在小学6年生で来年、私の子の通う中学校に入学します。
話によると、彼の夢は「ハイパーレスキューの隊員になること」とのことです。
きっと。
彼自身を救出してくれた、使命感・忍耐力に溢れた立派な隊員となることでしょう。
新潟県中越地震時に貴重な教訓が生きた、阪神淡路大震災。
そして新潟県中越地震が発生した後も、日本全国や世界各地で大きな災害が多発しています。
かくいう今も。
伊豆大島で台風による大規模な災害、未曾有の危機が発生しています。
私の住む、新潟県中越地方が皆さんの応援により立ち直ってきたように。
大きな力で。
あらゆる大災害の被災地が救われることを切に願い続けます。















