<補足情報>現在、只見線不通区間の只見~会津川口駅間はバスによる代行輸送が行われています。
バスは鉄道のダイヤ接続に合わせて運行されていますので、鉄道と併せた小出~会津若松の全区間内での移動も可能となっています。
是非とも安心して御利用下さい。
……只見駅ホームより、現在の不通区間・会津蒲生駅方面を見つめました。
会津蒲生・会津塩沢・会津大塩・会津横田・会津越川・本名。
只見から会津川口までの不通区間には、これら6つもの駅が存在します。
そしてその間、4つもの大型橋梁を豪雨水害により失ったままです。
JR東日本は、この区間の復旧費用を算出したところ、とても自社だけでは賄いきれないことがわかり、今後区間内廃止を考慮に入れて検討すると福島県内のマスメディアに発表したとのことです。
しかし、このJR東日本の発表に対して、只見町を含む奥会津五町村活性化協議会、JR只見線の沿線自治体でつくる只見線活性化対策協議会(新潟県魚沼市含む)、 福島県、福島県議員、只見町議会は、只見線が生活や観光など地域に必要な路線と主張して存続を陳情しています。
特に福島県側の奥会津五町村活性化協議会はJR東日本だけではなく国土交通省に対しても陳情するなど、存続への努力を続けておられるそうです。
つい一年前まで、私は同じ思いで新潟県内の大白川駅ホームで福島県方面を見つめて立ち尽くしていました。
しかし。
駒は進みました。
瀕死の状態だった只見線は、確実に前進しているのです!
元になっているのは実在した幕末の侍・河井継之助(かわいつぎのすけ)です。
継之助は、越後長岡藩主・牧野家の家臣でした。
元号が慶応から明治へと変わる幕末維新の戦において、会津藩と長岡藩は奥羽越列藩同盟を結び共に新政府軍と戦いました。
その中で、継之助は越後を舞台に起きた北越戦争にて中心となって働きましたが新政府軍の前に長岡藩は敗れ、継之助自身も戦で瀕死の重症を負い会津へ向けて敗走。
途中、現在の只見町塩沢にて力尽き、命を落としました。
只見の人々は最期まで越後の侍・継之助を手厚く看病して下さったとのことです。
只見には「河井継之助記念館」があり、継之助が臨床を迎えた居間を保存してあるなど、彼を通じて幕末という時代を世に伝える貴重な博物館となっています。
只見町 河井継之助記念館 URL↓
http://www2.ocn.ne.jp/~tadami/kawai.htm
※こちらにて「つぐたん」グッズも販売されています。
我が越後の人間を、只見の皆さんにこのように大切にされ続けて頂いている事実。
感激の極みです。
私自身も実感いたしましたが、只見の皆さんは本当に温かい方々です。
その温かい皆さんの住まう、只見線沿線をさらに大切にしなくては!
その為に私は同じ沿線住民として、さらに只見線の事を。
良さを。
広めていきたい。いや、いかなければならない!!
そう改めて実感しながら、「風っこ」只見新緑号で帰路につきました。
<Special thanks>(思わず車内から逆撮りしてしまいました。お許しを)
いつも只見線を愛して下さっている鉄人皆様。
この度も大勢お出で下さり、ありがとうございました!
これからも只見線を、どうぞよろしくお願いします!!











