前回の続きです。
私が春日山を訪れた目的の一つが、ここへの参拝でした。
山の入り口から少し登った所にある、上杉謙信公が祀られている春日山神社です。
一年前、切迫する闘病が続いた実父の回復をここで祈願いたしました。
謙信公の御力か、父は一時的ではありましたが切迫状況から逃れ、意識を回復いたしました。
それから一年もの時間を父に下さった謙信公に、改めて御礼参りをさせて頂きました。
境内に奉納することも、持ち帰ることも出来ます。
春日山へ訪れる方に、お薦めの土産品です。
一年前にこの絵馬を購入し、病床の父をずっと見守って頂いたものをこの度は奉納の為、持ってきました。
同時に同じものを今度は自身の為に購入いたしました。
裏面は、祈願事項を記せるようになっております。
その視線は、眼前に広がる米どころ頸城平野(くびき・へいや)に注がれています。
まるで生きているかのよう!
謙信公御存命当時は府内港(ふない・みなと)といい、越後の流通経済の要となる重要拠点として機能しました。
戦による略奪行為によるものでなく、商業・産業によって国を豊かにするという謙信公自らの方針に拠った港でした。
「上杉謙信は何故、天下取りを目指さなかったのか?」
「私欲を持たなかったというが、では何の為に戦ったのか?」
こうした疑問をよく歴史雑誌などで見受けます。
以前、とある雑誌での大河ドラマ「風林火山」出演俳優さん達の座談会の中で
「謙信が天下を目指さなかったのは、越後がなんでも揃っている豊かな国で、既に満足していたからだ(笑)」
といった意見が出ていたのを読んで「なにを~!?(怒)」と思ったことがある私でしたが、よくよく考えるとまんざらでもないかなとも思いました。
私はこの一日新潟県内を走りまわり、上の写真のような海を眺め、山河や黄金色の田園を眺め、改めて気付いたことがあります。
謙信公は、天下を取ることよりも大事なことを知っていたのだと。
それは、自分の身近にある幸せに気づき、守っていくことだということを。
謙信公が幼かったころの越後の国は、数々の豪族達の争いの絶えない国でした。
たとえ美しい山河や海に囲まれ、米の豊かに実ろうとも、己の私利私欲に溺れる者達の争いが絶えぬ限り人々の幸せは訪れないという事実を、謙信公は目の当たりにしながら育ったはずです。
「武芸の道に進まなければ、優秀な僧になったことだろう」
謙信公が幼いころ修業を積んだ林泉寺(りんせんじ)の天室光育(てんしつ・こういく)和尚は、彼をそう評したそうです。
現在、戦国時代をテーマにしたゲームが流行っていますが、言うまでもなく現実の戦(いくさ)・戦争とは決してゲームなどではなく、ルール無き殺し合いそのものです。さらに、全ての民を巻き沿いにした惨たらしい限りの殺戮そのものです。全てが武力の強い弱いによって支配された地獄です。
本当の幸せを取り戻したい。
それは決して、武力を行使して天下を支配する権力者になることではない。
謙信公はきっとそう考えていたと、私は信じています。
私達が今、目にしている越後の国。そしてこの日本。
それは謙信公の見ていた越後の国よりも、幸せなのでしょうか。
謙信公が望んでいた、幸福な国なのでしょうか。
いや、そうであると信じたいです。








