会津でむかえる終戦記念日。 | 風・雪・海・空。ハインケルーパーの独り言

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写真は宿泊先ホテルの部屋から見る鶴ヶ城本丸(中央の森)。

これまでまとまった休暇がなかなか取れず、ようやく一泊ですが盆休みで家族旅行が実現しました。
会津若松に訪れたのは三度目ですが、市内を廻ったのは私が小学六年の修学旅行以来です。

図らずも、その私にとって思い出の地にて当時の私と同じ位の年齢となった子供と共に、終戦記念日を迎えています。

前記事で書きました会津白虎隊のように、先の戦争でも大変多くの前途ある青少年が戦の争いによって命を失いました。

私は、若者や子供達は世の中の宝だと思っています。
先日他界した私の父は、終戦をむかえた65年前の今日、当時小学四年生でした。夏休みのこともあり近くの川で友達と泳いでいると、既に日本近海に停泊していた米軍空母から飛んで来た艦載機グラマン戦闘機(父談)の機銃掃射を受けて命からがら岸に逃げたり、夜は空襲警報の度に近くの防空壕に非難したりと子供なりに「死の恐怖」と隣り合わせの日々を送っていました。
教育勅語を暗記させられ「日本には神様がついて下さるので心配ない」と教えられてはいましたが、やはり恐怖は恐怖でした。
そんないつものように川遊びをして帰ってきた自宅で、何やら近所の人々がラジオの前に集まって黙ったまま聞き入っていたそうです。
日本の降伏を告げる「御音放送」でした。

間もなく、進駐軍の車両が新潟の田舎にも姿を現し「ギブ・ミー」などと言わなくても子供達にお菓子をバラまいていくようになりました。
「欲しがりません勝つまでは」と教えられ、食糧のほとんどを戦地の兵隊さんに捧げて暮らしていた、父のような育ち盛りの子供達。
彼らは飢えていました。
父達は進駐軍の投げた「貴重な食糧」にアリのように群がり、その度に学校の先生に「いくら戦争に負けたからって情けないマネをするな!!」と叱られたそうです。

川で泳げば機関銃で撃たれ、ただでさえ育ち盛りの年齢で食糧が無く飢え続けていた父達。

彼らが何故叱られなければならなかったというのでしょうか?

戦争というのは大人達が自分達の都合や欲望で勝手に始めたことで、おなかを空かせた子供達には何の罪も責任もありません。ましてや空襲で短い生涯を終わってしまった子供達もです。

私は、自分の子供達には決して父のような思いをさせたくはない。改めて思います。