12。管鮑の交わり『その後の管仲と鮑叔』 | [エイト通信] 北京ダック専門店中国茶房8〜Chinese cafe Eight〜のブログ

12。管鮑の交わり『その後の管仲と鮑叔』

『その時歴史が動いちゃった!』

中国の歴史上の人物で
その人物のお陰で歴史は動いちゃったの?
歴史を動かした重要人物を紹介していきます! 
                by トット

このコーナーでは、細かい説明は抜きに(ごめんなさい!)
その人物の魅力を第一に紹介したいと思います!

昨日の続きです!『管鮑の交わり』の『管仲』『鮑叔』のその後です!

鮑叔の推薦により管仲は桓公と面会し、強兵の前に国を富ませることの重要性、そしてそれには民生の安定と規律の徹底が必要だと説き、即日宰相に命じられた。鮑叔は管仲の下の立場にあえて入り、その補佐に回った。管仲は才を存分に発揮できる場所と右腕を得て、その優れた能力を発揮した。
管仲は内政改革に当たり、周代初期以来の古い制度である公田制を廃止し、斉の領土を21郷に分けた。物価安定策、斉の地理を利用した塩・漁業による利益などによって農民・漁民層の生活を安定させたが、これらにより民衆は喜んで働き、産業が活性化した。活発な産業は商人を呼び寄せ、商業も活性化した。活発な商業は他国から人を呼び、この中から優れた人材を積極的に登用した。 一方で、五戸を一つの単位としてそれぞれの間で監視の義務を負わせたり、不正に対しては厳罰をもってあたった。これらは高い規律と多くの税収を生んだ。
国内を整備した桓公は魯に攻め込み、領土を奪った。講和条約の調印の際、魯の将軍曹沫は自らの敗戦を償おうと、桓公の首に匕首を突きつけて奪った領土を返還する事を要求した。やむなく桓公はそれに応じたが、斉へ帰った後に「脅された盟約など守る必要はない。今一度魯を攻め、曹沫の首を取ってくれよう」と言った。しかし管仲は「たとえ脅迫の結果であろうとも、一度約束した事を破って諸侯の信望を失ってはいけません」と諌め、領地を返させた。これ以降、桓公の約束は諸侯の間で信頼を持って迎えられ、小国の君主達は桓公を頼みにするようになった。
これらの政策によって増大した国力と信頼を背景に、桓公は覇者への道を歩む。周王室内部の紛争を治め、北上してくる楚を討って周への忠誠を誓わせ、小国を盟下においた。 この功績により桓公は、周王室から方伯(周を中心とした四方のうち東を管轄する諸侯の事)に任じられた。
桓公は度々傲慢に傾き、周王朝を蔑ろにしたりしようとするが、管仲はその度毎に諌め、桓公も自らの意に逆らうことであってもその言を受け入れた。曹沫の件や燕斉の国境の不利な変更についても、自分では嫌だと思いながらも管仲の言に従った。
後世に管仲の著書とされている『管子』の中の言葉として「倉廩満ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る。」の言葉がある。まず民生の安定があってこそ政治が行えるという考えだが、管仲が礼節を無視したわけではない。桓公の命令で周王室の内紛を鎮めた時に、喜んだ周の襄王は管仲を賞して上卿にしようとしたが、管仲は「私は陪臣でしかないので、そのような待遇は受けられません」とあくまで固辞した。曹沫の一件での意見も同じ理由によるものであった。


ここで『歴史が動いちゃいました!』

鮑叔の推薦により管仲が抜擢されました!

有名な中国の人と人の関係を表す格言ですが、春秋の桓公も頼りにし、信じたから覇者になれた。
時代が動く時には常に人と人の交わりがあるものです・・・。にひひ

次回をお楽しみに~!