11。管鮑の交わり『管仲と鮑叔の関係』 | [エイト通信] 北京ダック専門店中国茶房8〜Chinese cafe Eight〜のブログ

11。管鮑の交わり『管仲と鮑叔の関係』

皆様あけましておめでとうございます!

今年も元旦から行きます!

『その時歴史が動いちゃった!』

中国の歴史上の人物で
その人物のお陰で歴史は動いちゃったの?
歴史を動かした重要人物を紹介していきます! 
                by トット

このコーナーでは、細かい説明は抜きに(ごめんなさい!)
その人物の魅力を第一に紹介したいと思います!

本日は、中国春秋時代の有名な『管鮑の交わり』の『管仲』『鮑叔』関係です!

管仲は若い頃に鮑叔と親しく交わっていた。ある時、金を出し合って商売をしたが、失敗して大きな損失を出した。しかし鮑叔は管仲を無能だとは思わなかった。商売には時勢がある事を知っていたからである。また商売で利益が出た時、管仲は利益のほとんどを独占したが、鮑叔は管仲が強欲だとは思わなかった。管仲の家が貧しい事を知っていたからである。 このような鮑叔の好意に管仲は感じ入り、「私を生んだのは父母だが、私を知る者は鮑叔である」と言った。二人は深い友情で結ばれ、それは一生変わらなかった。管仲と鮑叔の友情を後世の人が称えて管鮑の交わりと呼んだ。
二人は斉に入り、管仲は公子糾に仕え、鮑叔は公子小白(後の桓公)に仕えた。しかし時の君主襄公は暴虐な君主で、跡継ぎを争う可能性のある公子が国内に留まっていては何時殺されるかわからないため、管仲は公子糾と共に魯に逃れ、鮑叔と小白も莒に逃れた。その後、襄公は従兄弟の公孫無知の謀反で殺されたが、その公孫無知も兵に討たれ、君主が不在となった。斉国内は糾と小白のどちらを迎えるべきかで論が二分され、先に帰国した方が有利な情勢になった。
ここで管仲は公子糾の帰国を急がせる一方、競争者である小白を待ち伏せして暗殺しようとした。管仲は藪から毒を塗った矢を射て車上の小白の腹に命中させたが、矢は腰巻の止め具に当たって体に届かず、小白は無事であった(春秋左氏伝などにはこのことは書かれてない)。この時、小白は咄嗟に死んだ振りをして車を走らせてその場を急いで離れ、二の矢以降から逃れた。更に小白は自分の死を確認する刺客が再度到来することを危惧して、念のために次の宿場で棺桶の用意をさせた。このため管仲は小白が死んだと思い込み、公子糾の一行は悠々と斉に帰国した。しかし、既に斉に入っていた小白とその臣下たちが既に国内を纏めてしまっており、管仲と公子糾はやむなく再び魯に逃げ込んだ。
斉公に即位した小白こと桓公は、後々の禍根となる糾を討つべく軍を魯に向ける。魯も抗戦したが、斉軍は強く窮地に追い込まれた。ここで桓公は、兵の引き上げの代わりに、公子糾の始末と管仲および召忽の身柄引き渡しを求める。魯はこれに応じ、公子糾は斬首され、管仲は罪人として斉に送られ、召忽は身柄を拘束される前に自決した。しかし、管仲は斉に入ると拘束を解かれる。魯を攻めるにあたり、桓公は糾もろとも管仲を殺すつもりだったが、鮑叔より桓公に「我が君主が斉のみを統治されるならば、私と高傒の2人で十分です。しかし天下の覇権を望まれるならば、管仲を宰相として得なければなりません」と言われていたからである。


ここで『歴史が動いちゃいました!』

鮑叔の管仲への信頼。もし、鮑叔が管仲を信頼していなかったら

有名な中国の人と人の関係を表す格言です!にひひ

次回は、その後、管仲はどうなったか?です!お楽しみに~!