と、思って色々準備していた矢先に倒れましてね。
それが2010年11月17日でした。
心室頻拍による心臓機能障害だと。
要は、不整脈のひどい版かなぁ。
後に第一級障害者手帳取得しました。
余談ですが、電車の優先席とかマジな理由で座っても良いのだけども、見た目まったくわからないから、やっぱり座りにくいっていう困ったやつですな。これ結構あるあるらしいです。
倒れた時は心臓が止まってたらしく電気ショック2回かけてようやく脈を戻したとか。
エイジアで働いてる時だったので、その節は大変ご心配・ご迷惑をおかけしました・・・。
エイジアライブタイムの恭太郎さん曰く「あ、俺クビだ・・・」と思ったらしいです←なぜ・・・?汗。

(左から恭さん、しょうほうさん、八木橋さん。いつぞやキワキワ食堂にお邪魔した時の写真だなぁ。)
目を覚ましたら目黒の救急病院で5日間経ってました。
マジな電気ショックで胸ヤケドしてるわ、いろんな医療器具がくっついてるわ、鼻にそうかんしてた器具のお陰で鼻の穴がえぐれてるわ、のどにもそうかんされてたようで、何を飲み込むにしても激痛で、とにかくもーなんか大変なことになってました。それで一命を取り留められたのだから、良かったんですが。
福島に居るはずの両親と姉が泣きながらベッドの周りに集まっててね。びっくりしてよくわからないながらに宍戸も(あ、全員だわ)号泣してたわ。
そんなこんなでそれから約2カ月間の入院。
クリスマス2週間程前に手術。
クリスマス当日に退院。
手術では、心臓自体に何かしらの処置を施したのではなく、発作が起きた時に自動的に電気ショックを流すICD(埋め込み型除細動器)てのを左胸に入れました。心臓自体は移植しない限り治るものではないらしいです。
言ってみればICDはお守りみたいなものなんですねぇ。
その後すぐにでも東京に帰って仕事に戻りたかったのですが、家族と病院の先生に猛反対されました(当たり前か・・・汗)
その当時はもうそれしか頭になかったのですね。
とにかく元に戻りたいと。
そんなこんなで、療養生活をしていたのですが、宍戸正直荒れに荒れました。
当時21歳でもうすぐ22歳になろうかと言うのに、産まれて初めて実家の窓ガラスを割るほどのけんか。両親には謝っても謝りきれないほどのひどいことを言ったと思います。
なぜか?
戻りたかったから。
戻れるとも思ってました。
結局無理を言って、2月半ばには母同伴で東京のマンションに戻り、3月に母は福島に帰りました。
その11日後、あの震災。
幸い家族はみんな無事でした。
もし、あの時家族と別れを迎えていたら。
考えられないほどの後悔。
いや、今でもあの時実家で言ったことは後悔してます。


