あの戦争になぜ負けたのか
「文藝春秋」での討論会(半藤一利・保阪正康・中西輝政・戸高一成・福田和也・
加藤陽子)の再録。
日中戦争中に、ドイツは国民党に軍事顧問をおくり、武器も輸出した。日本軍は
それに苦しめられた。でありながら、ドイツが快進撃をはじめた短期的な情勢から
日独伊三国同盟を結ぶ。軍人の多くがドイツに留学していたから(そこで現地妻を
提供された)から、曖昧な理由でしかない。
一方で、かつては軍艦を英国から買い、イギリスまで引き取りに行き、訓練しながら
日本に軍艦ごと戻っていた。そうしながら海軍は世界を見ていた。しかし軍艦を自国で
作れるようになってからは、そうした機会が当然なくなった。それも日本の軍人の見識
を下げた一因となった。
第一次世界大戦で潜水艦が登場するが、日本はそのありがたみ・脅威を知らずにいた。
そのため兵学校の卒業成績(ハンモックナンバー)の低い者が潜水艦乗りとなった。
それは兵站もおなじで、陸大の成績下位の者が兵站参謀となった。
補給兵站を軽く見る風潮がインパール作戦をうみ、また敵の輸送船を攻撃しても得点と
ならなかったため、攻撃しなかったのである。
国際政治的にもだが、軍事的発想においても、潜水艦・兵站を軽視するという点において
取り残されていたのであった。
また大正デモクラシー。
福田が原敬から犬養の時代、国会議論の質の高さをあげ、原が暗殺されなかったらと言い、
それを受けて加藤が「原敬の国家統合スタイルとは、制度化されうるものではなく、原敬個人
の資質によるところが大きいんじゃないでしょうか」。
また二大政党制であったために腐敗の暴露合戦となり、院外団が生まれ、政治への失望が
皮肉にも国民に生まれた。
【通勤用にGOOD】 2006年
加藤陽子)の再録。
日中戦争中に、ドイツは国民党に軍事顧問をおくり、武器も輸出した。日本軍は
それに苦しめられた。でありながら、ドイツが快進撃をはじめた短期的な情勢から
日独伊三国同盟を結ぶ。軍人の多くがドイツに留学していたから(そこで現地妻を
提供された)から、曖昧な理由でしかない。
一方で、かつては軍艦を英国から買い、イギリスまで引き取りに行き、訓練しながら
日本に軍艦ごと戻っていた。そうしながら海軍は世界を見ていた。しかし軍艦を自国で
作れるようになってからは、そうした機会が当然なくなった。それも日本の軍人の見識
を下げた一因となった。
第一次世界大戦で潜水艦が登場するが、日本はそのありがたみ・脅威を知らずにいた。
そのため兵学校の卒業成績(ハンモックナンバー)の低い者が潜水艦乗りとなった。
それは兵站もおなじで、陸大の成績下位の者が兵站参謀となった。
補給兵站を軽く見る風潮がインパール作戦をうみ、また敵の輸送船を攻撃しても得点と
ならなかったため、攻撃しなかったのである。
国際政治的にもだが、軍事的発想においても、潜水艦・兵站を軽視するという点において
取り残されていたのであった。
また大正デモクラシー。
福田が原敬から犬養の時代、国会議論の質の高さをあげ、原が暗殺されなかったらと言い、
それを受けて加藤が「原敬の国家統合スタイルとは、制度化されうるものではなく、原敬個人
の資質によるところが大きいんじゃないでしょうか」。
また二大政党制であったために腐敗の暴露合戦となり、院外団が生まれ、政治への失望が
皮肉にも国民に生まれた。
【通勤用にGOOD】 2006年
- 半藤 一利, 中西 輝政, 福田 和也, 保阪 正康, 戸高 一成, 加藤 陽子
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