思想としての全共闘世代
新左翼の政治史とサブカルチャーの個人史。
「全共闘世代」ものではいつもこのパターンにはまる。
「思想としての」とマクラをつけたところで同じことである。
政治の季節以降に関しては蛇足。それは著者が会社員
でないため、マスとしての「世代」から外れたためである。
当人にその自覚はないが。
そもそも「全共闘世代」とはある一時期に大学生であった
ことが条件となるものに過ぎない。大学に入らなければ
その世代に加われないうえ、卒業・中退後に非政治的集団に
属せば、政治か ら無縁である。
就職しては政治から離れ、就職しないとマスから外れる。
そうした二律背反にあって、「全共闘世代」論に基づく80年代や
90年代はあまり意味がないのではないか。
【読むだけ無駄】 2006年
「全共闘世代」ものではいつもこのパターンにはまる。
「思想としての」とマクラをつけたところで同じことである。
政治の季節以降に関しては蛇足。それは著者が会社員
でないため、マスとしての「世代」から外れたためである。
当人にその自覚はないが。
そもそも「全共闘世代」とはある一時期に大学生であった
ことが条件となるものに過ぎない。大学に入らなければ
その世代に加われないうえ、卒業・中退後に非政治的集団に
属せば、政治か ら無縁である。
就職しては政治から離れ、就職しないとマスから外れる。
そうした二律背反にあって、「全共闘世代」論に基づく80年代や
90年代はあまり意味がないのではないか。
【読むだけ無駄】 2006年
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- 小阪 修平
- 思想としての全共闘世代