日本の「ミドルパワー」外交 | 中央線で読む新書

日本の「ミドルパワー」外交

戦後の日本外交史。

戦後のアメリカの東アジア戦略のスタートは、「中国チトー化」であった。
すなわち共産主義であってもソ連陣営に加わらない限り、次善のものと
して容認するというもの。そのため台湾・国民党をアメリカは見捨てる選択
を取る。またアメリカは中国の大国化よりも日本の大国化を危惧しており、
それを封じ込める「蓋の論理」として日米安保と平和憲法があった。

それとアチソンライン。国務長官アチソンがアメリカの不後退防衛線として
「アリューシャン列島から日本へと延び、さらに沖縄諸国に至」り、フィリピンに
連なるアチソンラインを想定する。ここには朝鮮半島はもちろん台湾も含まれ
ていない。(朝鮮戦争勃発後に台湾を意識するようになるが)

そうした状況にあってやむを得ずに生まれたのが吉田ドクトリンであった。
その吉田ドクトリンを甘受し、国家のアイデンティティを軍事・独立性にでなく
経済に求めたのが池田勇人である。「先進国のサロン」OECDへの加盟をめざし
積極的な外交を展開したのであった。

ところが同じ頃、吉田茂は日米安保を経済回復の安上がりな方法と考えるなら
「国家としてなすべきことを見失ってしまう」とスピーチ。(1962年)
共産主義と戦うために核武装まで含めた再軍備に言及している。

そして大転換を迎える。ニクソン・キッシンジャーの登場である。
キッシンジャーは「概念的に考えられず、長期的ヴィジョンもない」と日本の政治家を
軽蔑していた。同時に毛沢東・周恩来を国家の指導者として賞賛。

吉田の危惧の延長線にこの「ニクソンショック」以降の日本があろうか。
そして冷戦後冷戦後というが、実はこのあたりが分岐点であったのだろう。

【通勤用にGOOD】 2005年
添谷 芳秀
日本の「ミドルパワー」外交―戦後日本の選択と構想