戦後史の中の日本社会党 | 中央線で読む新書

戦後史の中の日本社会党

のちのち運輸大臣をつとめる伊藤茂が「ウラル山脈を越えられなかった」と
語ったと田原総一朗だったと記憶するが言っていた。
西欧の社会民主主義政党に成れなかったということである。
なにしろ社会党が市場経済を認めるのは、つい最近のこと(村山内閣時)で
ある。

そのウラル越えを阻んだのは、向坂逸郎ら社会主義協会派である。
しかし本書には協会派にあまり触れられていない。
その分、違ったものが見えてくる。

・初の社会党政権・片山内閣誕生時、西尾末広が政務の補佐役に
目をつけたのが佐藤栄作であった。しかし佐藤は巣鴨プリズンにいる
岸信介に相談し、断る。(35)

・片山内閣の経済安定本部は保革入り乱れた人材の宝庫であった。
しかしそれ以前に吉田茂内閣では吉田はマルクス経済学の大御所・
大内兵衛に大蔵大臣を、同じくマル経の有沢広巳に安定本部長官を
依頼している。(39)

・講和条約を巡っての社会党の左右分裂は、資金力のある総評が
決定的な役割を果たす。(89-)

・西尾末広らの離党(民社党結党)の際に、河上派の多くが離党するが、
残党組も、総選挙に離党する意向であった。これを食い止めたのが
総評の太田薫で、次回の選挙での最大限の協力を河上派残留組に
言い渡し、さらに河上丈太郎を委員長に担ぎ上げる。(147)

かくして「議会主義の厳守」を綱領で謳った右派社会党は、
議会制民主主義と現行憲法の否定を党是とする左派社会党に
総評主導で呑み込まれるのであった。

さらに面白いのが中国である。浅沼稲次郎が「日中共同の敵」と米国を
位置づける演説を行い、中国を喜ばせた。この反応は社会党も喜び、
反安保と「日中共同の敵」論を社会党の生命線とする。(このあたりは
総評・日教組にとっては願ったり叶ったりであろう)

一方で中国は社会党の訪問団を迎えたその日に初の核実験を行うわ、
ニクソンと接近するわ、公明党の仲介で田中角栄と日中平和友好条約を
結ぶわで、社会党をコケにする。
それもそのはず、所詮は一介の野党に過ぎなかいのである。

残すは石橋政嗣の詭弁のみとなって行くわけだが、石橋については本書では
あまり触れられていない。

【話のネタ本にGOOD】 2000年
原 彬久
戦後史のなかの日本社会党―その理想主義とは何であったのか