修羅を生きる
「血と骨」の前に書かれた梁石日の半生の記。
最近幻冬社のアウトロー文庫に収められた。
当然文学に昇華された「血と骨」の方がよい。
あるいはCXのドキュメンタリー映画「HARUKO」。
とは言え、「私が文学にたずさわっているのは私の生きざまが
たまたま文学と深くかかわっていたからにすぎない」(32)と
あるのは、決して大言壮語をのたまっているのではない。
一編の短編小説になりうる事柄が数行で書かれるもどかしさに
充ちた書物である。
「極端な言い方をすれば、生涯文学と無縁であったとしても、その
人間の人生にとって何らさしつかえがないないのである。もし文学
がこうした人間を軽視するようなことがあれば、それは文学の傲慢
というものであろう」(150)。
今の純文学はその傲慢の上にあるといえようか。
【他によいものがある】 1995年
最近幻冬社のアウトロー文庫に収められた。
当然文学に昇華された「血と骨」の方がよい。
あるいはCXのドキュメンタリー映画「HARUKO」。
とは言え、「私が文学にたずさわっているのは私の生きざまが
たまたま文学と深くかかわっていたからにすぎない」(32)と
あるのは、決して大言壮語をのたまっているのではない。
一編の短編小説になりうる事柄が数行で書かれるもどかしさに
充ちた書物である。
「極端な言い方をすれば、生涯文学と無縁であったとしても、その
人間の人生にとって何らさしつかえがないないのである。もし文学
がこうした人間を軽視するようなことがあれば、それは文学の傲慢
というものであろう」(150)。
今の純文学はその傲慢の上にあるといえようか。
【他によいものがある】 1995年
- 梁 石日
- 修羅を生きる―「恨」をのりこえて