「邪馬台国」と日本人 | 中央線で読む新書

「邪馬台国」と日本人

書名とは裏腹に近代史の本である。

明治、大規模な予算で政府は「大日本編年史」の編纂に取りかかる。
それは「客観的な歴史」を目指したもの。たとえば「太平記」に登場する
南朝の忠臣児島高徳が他の文献に登場しないことから児島が実在しな
いものとし、「太平記」の史書としての価値を否定した。

ところが1890年代になると、日本文化の特殊性・固有性を強調する
必要があった。そのために、古代において中国の影響を受けていたと
する「客観的な歴史」ではないものを掲げる必要があった。
政府が欧米列強と対等条約を締結するためであり、主権者・天皇の
超越的絶対性を必要としたためである。

そうしてで「客観的な歴史」でなく「物語的歴史」が必要となった。

近代日本において、公式の歴史が常に物語的歴史であって「客観的な
歴史」でなかったことは周知の事実である。近代日本が天皇親政という
国体の上に成り立っており、万世一系神話を不可欠の要素にしていた
以上、それはやむを得ないことであった。 (P37)

この歴史=物語論が「国史眼」であり、皇国史観、自由主義史観へと
続いていく。

ちなみに戦前、大川周明が天皇は豪族であるとして皇国史観を批判した
「日本二千六百年史」がベストセラーになっているように、天皇について
戦前はそれなりに闊達に(自由かどうかはわからないが)論議されている。
天皇について論じることが半ばタブーの今日、戦前の歴史論争を引っ張り

出すことは有意義かも知れない。

#邪馬台国論争はこの政府の歴史編纂の過程でシンボリックに登場する。

【書物としてGOOD】 2001年

小路田 泰直
「邪馬台国」と日本人