4月6日、日曜日11:30〜12:15NHK・BS4Kで大河ドラマアンコール【八重の桜】が始まりました。
(山本八重 のちの新島八重)
山本八重は会津藩砲術師範・山本権八の娘。
戊辰戦争の鶴ヶ城・籠城戦で自らスペンサー銃と刀を持ち奮戦しました。
薩摩藩砲兵隊長だった大山巌(おおやまいわお)を狙撃し重傷を負わせました。
明治になり、後の府立第一高女の権舎長・教道試補となり、新島襄と結婚し新島八重となり、同志社女学校(後の同志社女子大)を開設しました。
看護学校の助教を務め、日本赤十字の従軍看護婦として勲六等宝冠章を授与されました。
12年前の作品ですが、再度見ております。
戦争についての良いも悪いも置いておきますが、一途に信ずるものの為に命をかけ、家族を守る為に戦い、死んで行った人たちを忘れることはできません。
(婦女子軍・隊長 中野竹子)
1868年、慶応4年の戊辰戦争の会津藩は、男性はもとより、婦女子軍・隊長の中野竹子(薙刀の名手)も薩長軍(官軍)と奮戦して討死しました。薩長軍は女としての手加減はなかったと云われます。
宮城県南部(仙南)や福島県に親戚がいるのですが。
戊辰戦争で奥羽越列藩同盟側で戦い二本松城・落城の時に切腹した二本松藩・藩士の子孫に、従姉妹(父の弟の娘)が昔嫁入りしました。
そんな事もあり、会津藩とは直接の関わりは無いのですが、ご先祖が戊辰戦争で共に官軍と戦ったのかと思いますと、北海道室蘭市沢町の満冏寺(まんけいじ)の吊魂碑に元会津藩・白虎隊の一人が祀られており、身近なご縁を感じました。
約60年前の小学校の修学旅行は、蒸気機関車に団体専用客車を連ねて仙台を出発し、会津若松や白虎隊の墓を訪れました。
その頃から東北では、会津鶴ヶ城や白虎隊を見学する事は普通のことでした。
北海道室蘭市沢町の満冏寺(まんけいじ)の吊魂碑(ちゅうこんひ 本来は忠魂碑・・・忠義を尽くして死んだ人の魂を弔う記念碑)
(室蘭最古とされる満冏寺・浄土宗 室蘭市沢町10-7)
ドラマを見た後に、満冏寺の吊魂碑にお参りしお花を捧げて来ました。
吊魂碑は会津藩士・赤城信一や元白虎隊士中1番隊・隊士・永岡清治が建立したと言われます。室蘭で亡くなられた白虎隊・隊士を葬ったと云われております。
赤城信一は、会津藩の医者・阿部昌信の子として会津に生まれました。
鳥羽・伏見の戦いに巻き込まれ、敗走する会津歩兵隊付軍医になり会津に帰還し、会津戦争にも軍医として参加するが、鶴ヶ城が降伏すると、負傷兵を伴って仙台藩に落ち延びました。
その後、榎本武揚らの旧幕府軍に参加して、医官高松凌雲の元で、函館病院でも軍医として働きました。榎本軍が降伏すると東京に護送されました。
その後、北海道開拓使に出仕し、官立室蘭病院長(現在の市立室蘭総合病院)となり室蘭の医療に尽くしました。
永岡清治は元白虎隊士中1番隊・隊士
永岡清治は、白虎隊士中1番隊の一員として若松城下戦に参加した人です。
飯盛山の自刃グループである白虎隊士中二番隊とは、異なります。
世間の常識の白虎隊は全員が自刃し死亡した、は誤りです。
白虎隊士中二番隊37名のうち19名が自刃しました。
二番隊で自刃せずその後の戦いに参戦した者もおりました。
会津若松城の1か月の龍城戦に耐えた者もおりました。
その激戦に生き残り、苦難の明治時代を生き抜いた者も多数いたのです。(中村彰彦著「白虎隊」より)
その中の白虎隊の一人が北海道室蘭市で亡くなられたのですね。
また当時の会津で、土方歳三が白虎隊の隣の宿舎にいて、少年たちと交流して士気を激励していたとの記録もあります。
(沖縄 海軍司令部壕)
一昨年、沖縄旅行をして那覇空港近くの『旧海軍司令部壕』を見学して参りました。
昭和20年にアメリカ軍を相手に約500名の海軍の兵士が最期まで戦いました。
5倍以上の大軍・戦車や大砲・重火器に包囲され、水も食糧も無く、武器・弾薬も使い果たして補給も無く、最後は銃剣だけで戦いました。
この地下壕跡は浮かばれない霊が彷徨っており、お参りした人についてくると言われ、地元や近所の人は近づかないそうです。
(地下壕)
戦争は良くない事に決まってますが、戊辰戦争にしても、太平洋戦争にしても、そうやって亡くなって行った人たちの死を、決して無駄だったとは思っておりません。
そのような歴史があり、今の日本が有るのだなと思います。
今の平和で安全な日本に感謝しながら暮らしております。
(嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ)
会津藩 什の掟
一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです
(卑怯な振舞をしてはなりませぬ)
(ならぬことはならぬものです)
最近のテレビニュースで、女子社員などがハラスメントにあい、日常的に行われて被害が深刻だとの事案がありました。
次第に内容が知れてくると、卑怯な手口で騙して長期間、犯罪行為を日常的にして来たのだと驚いてます。
江戸時代後期から末期に諸外国から日本に異人が訪れて、日記や書物に当時の日本人の印象や感想を残しています。
外国人のほとんどの皆さんが、日本の商人も農民も侍も道徳心があり、良心的で親切で、読み書きも出来るので驚いた、とあります。
徳川幕府の江戸時代に戻りたいとは思いませんが、もう少し今の世の中が常識的でモラルやコンプライアンスが普通になればと思いました。