滝口家ご先祖は峯岸家先祖と同郷の宮城県角田市

 

  滝口信喜・北海道議会議員と滝口・室蘭市議会議員ご先祖は、明治時代のはじめに今の宮城県角田市から室蘭市に移住して来ました。

前に投稿したブログのように、峯岸清行の先祖は宮城県角田市江尻峯岸の所で農業を営んでおりました。先祖が同じ角田市の由来が有りましてご縁を感じております。

 

(左側・滝口信喜道議 中央・峯岸清行 右側・滝口紘子市議)

 

(滝口紘子市議会議員 室蘭市トッカリショ海岸)

 

 滝口信喜(のぶよし)氏は室蘭市役所に7年間勤務後、(故)池端清一元代議士の秘書を6年間勤めた後、室蘭市議会議員を12年勤め、北海道議会議員を29年勤め現在も議員活動中で、通算41年間議員として室蘭市や北海道の市民の為に尽くして来ました

 滝口紘子(ひろこ)氏は岩手県遠野市役所に5年半勤務したのち、北海道議会議員滝口信喜後援会に勤務後2019年に室蘭市議会議員に初当選し、現在2期目で5年間勤め、現在も市民に信頼されて議員活動中です。これからもっともっと活躍が期待される人物です。

 

 

 

§1.江戸時代、宮城県は伊達政宗を初代藩主とする仙台藩62万石(実高100万石)の領地で、家臣の数は直臣・陪臣を併せて三万三千人余でありました。慶応4年幕末の仙台藩主は伊達慶邦(だて よしくに)です。

その統制と秩序保持のため、戦国期から家臣団が編成されていました。

一門、一家、準一家、一族、宿老、着座、太刀上、召出などの上級藩士

平士または大藩士といわれる中級藩士

組士・卒〔足軽〕といわれる下級藩士 

平士・組士・以下足軽や半百姓(農兵)勢力が戦闘の実戦部隊でした。

その組織は下のような構成でした。

 

一門  11家 伊達家(伊達政宗)との血縁関係にある戦国期の大小名

 滝口信喜道議、滝口紘子市議のご先祖は一門 11家の一門筆頭の石川昭光で知られる石川氏の家臣です。角田支藩は二万千三百石余。

②一家  17家 

③準一家 8家

④一族 22家

⑤宿老 3家

⑥着座 29家

⑦太刀上 4家

⑧召出一番座 35家

⑨召出二番座 48家

⑩平士 3350家

⑪組士 860家

⑫卒・足軽・半百姓(農兵) 峯岸家の祖先はこれにあたります。

 

滝口家は仙台藩家臣団の最上位である一門(11人)のなかの筆頭(最高の位)の石川氏の家でした。

この仙台藩の総数は3万3千人あまりと言われています。

 

§2. 仙台藩 伊達一門

(1)石川氏 一門筆頭は石川昭光で知られる石川氏 角田支藩

石川昭光は伊達政宗の叔父にあたることから一門筆頭です。

慶長年間に角田に移り角田要害主として続きました。

角田城は、二の丸三の丸を持ち、さながら大名城郭のようでした。

石川氏は仙台藩主の姫と婚姻し、血縁関係です。

 

 

上の図は当時の仙台藩領地の区分図で、角田支藩は仙南の福島県寄りでした。

仙台藩石川氏の呼び名は角田支藩、角田石川勢などですが、これ以後、角田支藩とします。(宮城県仙台市の南側を仙南、北側を仙北といいます)

 

 

§3.戊辰戦争と角田支藩

角田支藩は現在の宮城県角田市であり、仙台藩の南側は、福島県側の磐城平藩(いわきたいらはん)でした。

幕末の慶応4年(1868年)この時の当主は石川邦光(第37代)でした。

戊辰戦争で福島県側から薩長軍(新政府軍)が押し寄せ、仙台藩の南を守る角田支藩の部隊、白石支藩・片倉氏の部隊などは弓矢の武士として福島県宮城県南部死力を尽くして戦いました。

 

その戦場は福島県「白河口大曲」、他に「三春」、「棚倉」、「二本松」などを転戦し、その後宮城県南部の「駒ヶ嶺」、「旗巻峠」の戦いでした。

「旗巻峠」が敗れると、「丸森の筆甫」での戦いなどがありました。

角田支藩は仙台藩の戊辰戦で、ほとんどの地で戦いました。

角田支藩の本隊は約450名で総勢1200人を率いました。

 

奥州街道の要で、福島県の白河口の戦いは慶応4(1868)年、閏4月から7月(6月から8月)にかけて起こった100日間の戦闘で、現在の福島県白河市の白河城をめぐる会津藩・仙台藩を中心とした奥羽越列藩同盟軍と、薩摩藩・長州藩を中心とした新政府軍との戦いでした。 

1868年4月22日、白河城守護の命を受けた新選組隊長・山口二郎〔斎藤一〕が約130名の隊員を率いて合流。新政府軍を迎え撃つため防御を固めました。

これはテレビドラマでも度々登場する白河城の戦いです。

白河城が落城し、二本松少年隊・白虎隊の悲劇へと続きました。

その後、仙台藩領内の「駒ヶ嶺」、「旗巻峠」の戦いとなりました。

峯岸家の先祖も、この「旗巻峠の戦い」に奥羽越列藩同盟軍の兵士で参戦しました。

結果的に、慶応4年(1868年)9月に奥羽越列藩同盟軍は敗れました。

角田支藩からも沢山の戦死者・戦傷者が出ました。

滝口家のご先祖はその生き残りです。

 

§4.滝口家添田龍吉 角田支藩の家臣団 室蘭あけぼの

角田支藩は明治新政府より胆振国室蘭郡を与えられました。

角田の武士たちは、宮城県角田市に残り農業をするならば武士の身分を剥奪する、武士の身分を守るならば北海道へ移住する、という二者択一を迫られました。

何百年と士農工商の身分制度の中で生きて来た時代ですから、角田支藩の武士たちにとって、農業(百姓)の身分になるのは耐えられない事でした。

その結果、武士の身分のままで室蘭に移住する事を決めたのです。

 

室蘭郡の室蘭・千舞(チマイベツ)・竈竜田(ぺケレウタ)・幌萌・本内(ポンナイ)・輪西・絵鞆の支配を命じられました。

現在の白鳥台~石川町~知利別町~輪西町~日ノ出町の辺りが支配地となりましたが、当時は埋立地も無く切り立った海岸と崖の海岸ばかりで、輪西町も日の出町も沼のような湿地帯の野地ばかりで、農作業には不向きな土地ばかりでした。現在の輪西町も日の出町も埋め立てられた後に家が建っている訳です。

現在の旧室蘭駅や中央町・海岸町は、明治時代の初期は海だったのです。

室蘭市埋立てされた平地で成り立つ町なのです。

 

角田支藩当主・石川邦光に北海道移住の責任者に命じられたのが、添田龍吉滝口などの仙台藩角田支藩石川氏の藩士です。

滝口信喜氏は添田龍吉ひ孫として室蘭市石川町に生まれました。

滝口紘子氏は滝口信喜氏の長女で、同じく添田龍吉の玄孫やしゃご)です。

 

室蘭は今でこそ北海道有数の工業地帯となっていますが、添田家・泉家・滝口家が入植した明治初年の当時は、人口が300~500人くらいの農業が成り立たない製造業も無い、平地の無い荒地の小さな漁村でした。

農業の耕作も出来ず暮らしを守る為に、氷製造業蝦夷鹿を狩猟し皮と肉の販売業などを収入とし、室蘭で初めての製鉄業(金属を溶かして製品を作った)も、添田家・泉家・滝口家などの石川氏家中でした。

室蘭の製鉄業のはじまりと言えます。

また牧場を経営し、当時貴重であった馬50頭以上を飼育しました。

このように農業で駄目ならと機転を利かした発想新たな産業に取り組み、開発して行ったことは室蘭のあけぼのでした。

 

明治初年に仙台の松島湾から船で函館に到着し、函館から室蘭までの旅費が足らず、持参した家財を現地でお金に替え室蘭に辿り着きました。

農作物も育たず資金も無い中から頭脳と知恵新しい産業を興し、当時で500円という大金を蓄えました。そして教育を大事にし学校作りアイヌの人々も迎え入れて子供たちに学校で教えました。

その移住した家臣団から北海道議会議員、町議会議員などの政治家を明治時代から輩出しました。現在の滝口信喜・道議会議員や滝口紘子・市議会議員は、その先駆者のDNAを引き継いだ室蘭開拓者の子孫です。

 

宮城県の仙南都市・角田市は現在の人口は約3万人で、製造業・農業・水産業が盛んです。

製造業は電機自動車部品メーカーや日用生活用品等製造販売の企業が沢山立地しております。

宇宙航空研究開発機構(JAXA)角田宇宙センター世界的に有名で、ロケットエンジン研究開発を行っています。

 

 

§5.JAXA 角田宇宙センター  

宮城県角田市君萱字小金沢1番地

1965年の日本のロケット技術草創期から、角田市で研究・開発が行われて来ました。 人工衛星や惑星探査機を大気圏外まで運ぶロケット。このロケットの心臓部となるエンジンの研究・開発を行っているのが角田宇宙センターです。

 

 

H-IIAロケット、H-3ロケット等に搭載する液体ロケットエンジンの研究開発および試験を行っているほか、人工衛星用の液体アポジエンジンや小型球形固体ロケットモータの研究開発も行ってきました。さらに、ロケットエンジンのターボポンプ、燃焼器、ノズルに関係した基礎から応用までの様々な研究を行って、日本のロケットエンジン技術の向上に貢献しています。

現在では、将来の高性能エンジンとして、地上から宇宙まで使用が可能な複合エンジンに関する研究開発も行っています。また大気圏再突入を模擬した実験、研究も進めています。

 

(開発の経過)

・Nー1ロケットエンジン ・H-1 ロケットエンジン

・H-Ⅱロケットエンジン ・HーⅡA ロケットエンジン

・H-3ロケットエンジン

このロケットエンジンで打ち上げられた惑星探査機はやぶさ2」は、2018年6月27日に小惑星「リュウグウ」に到着、2019年に2回のタッチダウンによって試料を回収し、2020年12月6日に無事に地球(オーストラリア)に試料が入ったカプセルを届けました。

そのミッション成功後も「はやぶさ2」探査機はそのまま宇宙飛行を続け、次の拡張ミッションへ移行し、小惑星1998 KY26に接近して観測を行うことが予定されて実行中です。 

 

 

(現在の開発)

日本最大級大型のH-3ロケットエンジンは10年の歳月で完成されました。

大幅なコストダウンが成功し、より大きく重い重量の人工衛星や惑星探査機を打ち上げる事が可能となりました。

202417日に打ち上げに成功しました。

2024年10月9日Eテレ22:30『NHKアカデミア岡田匡史(後編)失敗で人は強くなれる』

・JAXA(宇宙航空研究開発機構)ロケットエンジニア岡田匡史(おかだまさし)氏の長年の開発の苦労や失敗談など、失敗から成功へ導く知恵などが詳しく放送されました。

このように角田市は宇宙開発にも関わる都市としても先駆的な町です。