【角田市郷土資料館と白石城を見学 令和7年5月】

 

 2025年5月、宮城県角田市にある「角田市郷土資料館」を訪ねました。江戸時代、私のご先祖様が角田の地で農業を営んでいたこともあり、この土地には特別なご縁を感じています。館内を見学した後、齋藤彰裕副館長と家族で記念写真も撮らせていただきました。

 

(齋藤彰裕副館長と記念撮影)

 

 この資料館は、旧大地主である氏家丈吉氏(初代・二代目)が建築した邸宅を、昭和60年に角田市が譲り受けて整備したもので、市の指定文化財となっています。

 

(角田市郷土資料館)

 

角田市郷土資料館は立派な建物と内容で、もし今の物価高騰のなかで改築整備すれば、数億円規模になるほどの価値があるそうです。

 

 (角田市郷土資料館)

 

 展示では、戊辰戦争の膨大な出費で財政難となった角田支藩(藩主・石川邦光)が、鎧兜や調度品を豪商や豪農に売却して資金を得たという歴史を知りました。戦後の平和な時代になると、それらを「預かり物」として無償で殿様に返したという話に、角田の人々の誠実さを感じました。

 

また、戊辰戦争の後には、角田支藩の家臣団が現在の北海道室蘭市へと移り住みました。彼らの尽力が室蘭市発展の礎となったことを思うと、室蘭市民として誇らしく、また深く感謝すべき歴史だと感じます。

 

 (甲冑を入れる木の箱)

 

 鎧兜(甲冑)を収めた木箱は20kg以上もあり、出陣の際にはそれを担いで一日二日と歩いて戦場まで運び、到着後に甲冑を身につけたとのことです。副館長さんの説明で、映画やドラマとは異なる当時の現実を学ぶことができました

 

 (角田市民俗資料館内の展示)

 

 また、江戸時代のお姫様が着ていた着物の再現品も展示されており、結婚式を挙げる角田市民に貸し出されているそうです。

 

 角田城(角田要害)は「要害」と名付けられつつも、実際には立派なお城で、城主は石川邦光でした。しかし戊辰戦争後の明治時代に取り壊され、現在は城の遺構と城下町の面影が残ります。敵の進軍を阻むために道を狭く曲げて作った城下町の道路は、今もその姿を残しております。

 

(猫供養塚と蔵の周囲にある猫紋)

 

 角田市は江戸から明治にかけて養蚕(ようさん)が盛んでした。戊辰戦争後、新政府が仙南(角田)の養蚕や、仙北(岩出山)の米を財源としたことからも、この地の豊かさがわかります。

 

 養蚕を守るために活躍したのが猫たちです。資料館の庭には「猫供養塚」が並び、収蔵庫の蔵にはネズミよけの「猫紋」がいくつも飾られていました。角田の人々が猫を大切にしてきたことが伝わってきます。

 

 角田市郷土資料館を後にし、宮城県白石市の白石城へ向かいました。城主は片倉小十郎で、戊辰戦争後には現在の北海道登別市に移住したことでも知られています。戊辰戦争の際には、東北の諸藩がここに集まり「奥羽越列藩同盟」を結成した歴史的な場所でもあります。

 

(駐車場から白石城へ歩く)

 

  白石城は戊辰戦争後に取り壊されましたが、平成7年(1995年)に可能な限り忠実に復元されました。実際に歩いてみると、歴史の舞台に立っているような気持ちになりました。 

 

 (宮城県白石市 白石城)

 

 (白石城内の天守閣にて)

 

(明治18年創業 うなぎの「都屋」)

 

 白石城見学のあとは、お城から近い鰻専門店「都屋」で昼食をいただきました。明治18年創業、138年の歴史を誇る老舗で、養殖ではなく地元の天然鰻を使った料理は格別の味わいでした。

 

 角田市郷土資料館と白石城を巡ることで、戊辰戦争や明治維新の舞台を実際に目にし、歴史をより身近に感じることができました。テレビや映画で見ていた出来事が、自分の目の前の風景とつながったようで、とても感慨深い家族旅行となりました。