おそらく、現在の世界中の人々の生活様式は「農耕社会」の概念の上に成り立っていると言えます。

このブログの読者である皆さんも、日本人は農耕民族として文化形成をしてきたと思っておられる方も多いでしょう。ジーコもそうでした!

しかし、人類史を遡りますと人類は農耕が始まるまでは狩猟採集によって生活していたことが明らかになっています。日本人も例外ではなく最初は狩猟採集によって生活を営んでいました。

 

世界最古の文明とされています古代メソポタミヤ文明の遺跡跡地から「大麦何百グラムが受け取られた」というような貸付(負債)が数量化された粘土板が発掘されています。

ということは、少なくとも紀元前3500~4000年頃には農耕が始まっていたことは確かです。農耕の歴史は役1万年前から始まったのではないかと言われています。

 

狩猟採集社会から、なぜ農耕社会へと変わり継続して現代社会の土台となるまでに至ったのかという議論はここでは控えたいと思いますが、狩猟採集のように非効率的で不安定な狩猟採集生活をやめて安定した食料供給ができる農耕にもとづく社会形成に移行したという解釈が一般的です。

 

しかし、実際には狩猟採集と比較して農耕に移行したことで逆に労働あたりの生産性は下がっているそうです。平均的な農耕民は平均的な狩猟採集民と比較してより多く働き、より少ない食料を得ていて農耕革命は「史上最大の詐欺」とさえ言われています。

 

さて、ここで何が言いたいのかと言いますと、この農耕社会そのものの成り立ちに「支配」という概念が深く関わっていると言うことです。狩猟採集は定住地を持たずに獲物を求めて日々移動して暮らしていますが農耕社会は定住です。定住するということは土地が必要であって、土地を所有する者が権力者になります。その村、或いはその地域で生活する地主以外は労働者となり、そこに支配構造の基礎が出来上がっていきます。

かくして農耕社会システムは世界中に広がり現在「征服と奴隷」の考え方の上に私達の社会は成り立っていることを意味します。

 

そして農耕社会の土台の上に人々の生活が営まれるようになると、そこには市場が出来上がり消費活動がスムーズに行われるために貨幣が使用され、次第に人々の職業は分化されていきます。

多くの人は、現代社会は高度で複雑な専門分野に分かれ、其々の専門性の助けと相互作用によって文明が発達されていると考えられています。専門分化によって現代社会が支えられているのだと。もちろん、そのような側面もあるのは事実ですが、もう片方でこのような見方もあります。

 

思想家であり、デザイナー、建築家などでもあったバックミンスター・フラーはその1963年の著書「宇宙船地球号操縦マニュアル」の中で「専門分化とは事実上、奴隷状態の少々おしゃれな変形にすぎない。そこでは『エキスパート』は社会的、文化的にみて好ましい、したがってかなり安全な、生涯続く地位にあるのだと幻想をもたされて、奴隷状態を受け容れることになる」と述べています。

 

いささかトゲのあるような言葉ですね。聞く人によってはイラっとします。

しかし、フラーが指摘しているのは、其々の専門性の中に埋没し、社会を全体として捉える力・営む力を剥奪されてしまっているということでしょうか。

 

約2千年前、ローマ帝国がユダヤ地域(現イスラエル)を支配していた時期がありました。

占領される前のユダヤは農業や漁業が中心に人々は生活していました。しかしローマの植民地政策が始まると都市部から徐々にローマ化されていきました。

大規模な都市改革によって近郊の農村町の産業化は次第に分化し、商品生産が頻繁に行われるようになっていきました。そのために貨幣が導入されたことにより市場が活発化するようになっていったのです。

一部富裕層は貨幣を求め蓄積します。しかし没落していく農民は貨幣を求めざるをえませんでした。

産業の分化もまた職業における専門家を産みだしお互いのサービスの交換手段として貨幣が使われていったということです。人は労働し、労苦し、ときには乞食をしてさえも貨幣を求めるようになり文字通り奴隷のように労働をしなければならなくなりました。

 

そして、得た貨幣はどうなるのでしょうか。

生活のために消費され市場の回転力を助長することと、税金としてローマ帝国(国家)に納めなければなりませんでした。しかも、その納めた税金が自分達を支配するローマ兵の給料に当てられていたのですから、肉体的にも精神的にも矛盾を抱えながら当時の人たちは苦しみに耐え忍んでいたことでしょう。

 

あれ?

どこか私達の生活と似ていないでしょうか?そうです!何千年も前の植民地支配の原理が現代社会でも形を変えて行われているように感じられないでしょうか。

 

例えば「税金」はなぜ払っているのでしょうか。

現代における解釈は国家による安全の保障と行政によるサービスを受けるために税金を納めています。言わば会費のようなものですね。税金が納税者を苦しめるために納められているとしたら、これほど救いのないことはありませんよね。税金を巡る不正や無駄遣いほど市民を怒らせるものはありません!

 

さて、そのことはさて置き、先ほどのローマ帝国とユダヤの関係は支配者と被支配者でした。

支配者側における植民地支配(この場合ユダヤ)を分析するとこうです。

住民に労働(市場・労働環境を与える)をさせ、貨幣で対価を払って消費活動を促し、税を徴収することは征服者が自国に立ち去った後も消費需要が継続し、現地で市場が回転することで支配が固定化されるような基盤作りのためだったことが明らかになっています。

 

デビッド・クレーバーの著書「負債論」でも、最古の文明から現代に至るまでの間「富者」と「貧者」の間の闘争は往々にして「債権者」と「債務者」の間の争いというかたちをとってきたとも指摘しています。

その究極的な形が国家と国民の関係であり、国家への借りの返済が「税」であってそこに現代の貨幣の起源があるというのです。

 

現代社会は、私達が生きていくために必要なもの、何もかもが基本的には貨幣がなければ手に入れることができません。そして貨幣を得るためには労働をしなければならないというように、私達はお金に縛られるという不自由な生活を強いられています。これを奴隷状態と言うのなら、言い過ぎになるでしょうか。

 

 

農耕社会システムというのは先述したように「征服者」と「被征服者」が如実に現われる世界です。

現代の民主主義の社会においては本当の「征服者」は姿を消していて決して表舞台には出てきません。

であるならば、私達が征服者でないとするならば、やはり被征服者の立場にあるのかもしれません。それは奴隷としての生活を続けているという見方もできるのではないでしょうか。

 

次回は題して「今後の世界③」~脱!奴隷解放宣言!~さぁ、やっと今回のメインテーマ(今後の社会)に触れていこうと思います。(続く)