生き様トークイベント
冨宅飛駈選手
マグニチュード岸和田選手
くいしんぼう仮面選手
司会 宮尾信次郎
[くいしんぼう仮面チャンネルにてニコニコ生放送]
宮尾 何故プロレスラーを目指そうと思ったのですか?岸和田選手からお願いします
岸和田:そうですね、僕はアニメの「タイガーマスク2世」が流行ってまして。それが実際リングに上がってるって聞きつけて金曜日8時からのを見出したのがきっかけですね。昭和56年。
宮尾 初代タイガーマスクですか?
岸和田:初代タイガーマスクから猪木さんにいってみたり長州さんにいってみたり…でしたね。今でもやっぱり、初代タイガーマスクとダイナマイトキッドさんですね。
宮尾 くいしんぼう仮面選手お願いします
くい :僕は父親っ子と言いますか。父親が好きな事が僕も好きなんです。父親が金曜日8時からのワールドプロレスリング見てたんですよ。小学校の時。長州力さん、ちょうど維新軍団ってのを結成してて猪木さんと戦ってたんですよ。そっからまさかまさかの新日本プロレスを辞めて維新軍団ごと全日本プロレスに移籍したんですよ。そっから長州力さんに完全にハマりましたね。それが好きになるきっかけだったんですよ。中学生くらいから週刊プロレスとかゴングとか買って、新日本プロレス、全日本プロレス、UWFそこから他の団体が出てきてFMWやユニバーサルとかパイオニア戦志だったり(笑)ユニバーサルプロレスって言うのがあったんですよ。みちのくプロレスの前身みたいなね。そこでスペルデルフィンさんを見てもう一発でファンになったんですよ
岸和田:それほんまの話?
くい :ほんまですよ!
岸和田:作り話じゃなくて?
くい :ほんまですよ(笑)今この状態でコビ売っても(笑)
岸和田:僕らがあるのは、デルフィンさんあっての僕らやからね
くい :もう、そらそうですよ!
冨宅 :僕もです。
宮尾 僕もですよ。冨宅選手お願いします
冨宅 :僕はやっぱり佐山さんのタイガーマスクですね。新日本。最初は弟がプロレス好きで。タイガーマスクの動きが早いしかっこいいし。で、月刊誌で選手の連載があって高田さんのレスラーになるまで、なってからの話読んで感動して高田さんのファンなって。UWFのファンで…そっからですね
宮尾 では、プロレスラーなろうと各団体の門を叩いた訳ですが、実際経験した苦労体験などお願いします
岸和田:僕はですね、東京八王子道場でオリエンタルプロレスでした。八王子の道場に行ったのは最初の一週間だけで後は千葉県浦安市の土木作業員が働く所に掘り込まれまして(笑)朝の4時半に起きて僕が10人くらい乗せて運転して仕事に行ってました。なぜ4時半かと言いますと、道が凄く込むので現場に着いてもう1回寝てました。家着くのは20時半くらいで、そこでご飯食べてトレーニングをするって言うね。そこのご飯も考えられない様なもん出てきて、これは食べられないよ!って言うご飯が出てきて…って言う生活をしてたんですよ。でね、そのとき会社潰れるからって板倉先輩が「新オリエンタルプロレス出来るからこっち来ないか?」って声かけてくれたんですよ。それで、その時の社長に「ヤ○○使ってもどんなことしても見つけてお前殺したるからな」って言われてたんですよ(笑)
宮尾 そもそも4時半からの仕事は団体からの命令だったんですか?
岸和田:団体からで、寮費が取られるから一日働いて3500円。一ヶ月で25日くらい働いてたんですけど。いつもお金もらいに行くと5万円しか渡されないんですよ。残業手当は別に付くって聞いてて毎日2~3時間は残業してたんで一日5000円くらいの計算になるんですよ。しかも、夜取りに行くからタクシーで寮まで帰らないとダメなんですよ。次の日仕事行かないと喰らわされるんで。そっからデビューするまで考えられないくらい建築関係の仕事しましたよ。屋根屋、鳶職、水道も屋根なんか自分で作れるんで。フィリピン人のラモンと一緒に(笑)建築関係はほぼ出来るね(笑)
くい :もう辞めても生活出来るんじゃないですか(笑)
岸和田:いけるね、屋根も全部(笑)昔ね、屋根の現場での話なんですけど。屋根って下から作るんですよ。で、板が並べてあって、やたら釘が残ってて「あぁこんなもんか」って思ってたんですよ。上と真ん中と下だけ釘が打ってあったんですけどね。間は打ち付けてないんで、ただ重ねてるだけなんですよ。僕はこれでいけるもんなんやって思ってて(笑)ある日違う現場行ったら全然やり方違うんですよ。全部釘で止めてあるんですよ(笑)でね、大体全部釘打つと3日かかるんですけど最初行ってた所は2日で大体終わってた(笑)だって釘打って無いから、乗せるだけだから。様々なバイトはしましたからね
宮尾 ほぼ仕事ばっかりなんですね
岸和田:プロレスラーなりたい人がものすごく多くて月2~3回入門テスト。んで1回で20人くらい入って来るんですよ。残ってるのは僕だけ。とりあえず。ものすごい人が来る。空手や柔道の有段者が来てもレスラーにはなれない時代だから…
宮尾 時代ですね…くいしんぼう仮面選手お願いします
くい :苦労話でしたね…僕は気がついたらデビューしてましたね。
宮尾 ですよね
くい :当時PWCって団体があったんですよ。活動ってか興行とかも全然してなかったんですけど。横浜のヨンドンって所で「屋台村プロレス」ってのを毎週末定期的にやってたんですよ。でそこで東京に上京して合同練習に参加してくれって言われて参加したんですよ。合宿所とかも特に無くて(笑)PWCの営業やってた方の六畳一間の家に転がり込んで
宮尾 なぜ、活動してない団体に入ろうと思ったんですか?
くい :入門テスト受けた時はまだ活動してたんですよ。雑誌だけがたよりだったんで。そこは身長体重制限無かったんで、高校で周りが就職か進学は言うてる時に。平和島の野球場で入門テスト、その時に初めて宇宙パワーでたんですよ(笑)宇宙パワー技
岸和田:あぁぁ~あったね(笑)
くい :マニアック過ぎて分からない人も居ますかね(笑)当時のプロレスラーはすごかったと思います。ポイズン澤田さん、キャノンボールKAZUさん、内藤…さん。高校生の僕から見ればものすごく大きくて良い身体しててプロレスラーってすごいなって思ってました。でね、同じ日に入門テスト受けたのは菅沼さん(笑)入門テスト受けまして、PWCの大森さんがわざわざ徳島から来た18歳の若い子がこのままここに来て彼の将来はここ(PWC)ではダメなんじゃないかって決断を下しまして音信普通になったんですよ、PWCさんと。その後何とか連絡取って、練習に参加しました(笑)屋台村で合同練習してるって事で、でねその時グレートタケルくんって子が居たんですよ。その子とスパーリングしてて。タケルくんは日本憲法、僕はアマチュアレスリングしてたんで、これ俺勝てるんじゃないか?って思ってたんですけど。勝てはしなかったですけど負けもしなかったです(笑)それを見てた、高野拳磁さんが「お前今日試合やれよ」って急に。え?って思って(笑)今日お願いしますってちょっと挨拶した程度の入門初日に「試合やれよ」って(笑)で、気がついたら試合やってて、気がついたらくいしんぼう仮面なってましたね(笑)
宮尾 だいぶはしょりましたね(笑)
くい :その試合は結局負けたんですけど。初めての試合で入門初日でジャーマンスープレックスとかかけられましたね(笑)色んな技を喰らって良く生きてたなって(笑)しかも公式の試合じゃなくて闇試合(笑)ちゃんとした公式の試合はあるんですPWCの。ちゃんと週刊プロレスにも結果だけは載ったんですよ。1994年4月17日ですね。良かったなとは思いますね、気がついたら上がってたんでね。でもそれが一つのコンプレックスみたいになっててどこでデビューしたの?って聞かれてもIWAって言ってました(笑)
岸和田:お互いねぇ、僕は剛竜馬だからね(笑)
くい :今は逆にそれが面白いですけど。
宮尾 はい、では冨宅選手お願いします
冨宅 :そうですね、僕は全然面白くないよ。UWFで、ただみんなと同じで入門テスト受けて通って入門して…テストはスクワット500回時間で測って。僕1番早かったです。でスクワットして100Mあるか無いかの凄い急な坂があって。そこをダッシュその後、階段3本ずつダッシュ。あとなんかやってたけど…その後、腕立て腹筋限界まで。ヨシ!って言われるまで。周りも見た目すごい人多かったんですが体力テストでどんどん辞めてってましたね。僕UWFは2回受けてて、一回目僕と一緒に残ってたのが田村潔司さん。僕の隣でやってて同じような体格で最後まで残ってたんで残るのは僕かなって思ってたんですけど、通知着たら不合格でした。何でかなって思って、後日新しい新入生「田村潔司」って出てたんであ!あいつやって思って(笑)まぁしょうがないんでその1年後のテストで通って、そん時の同期が垣原さんとか。4人?くらいは居たんですけど、初練習の日すでに2人はすぐ飛びましたね(笑)
宮尾 いつの時代でも飛ぶ人って居ますね
冨宅 :でも本当にあるんだって思いましたね
宮尾 最近はあまり飛ぶって聞かないですね
くい :あ!全然関係ないんですけど、今日の全日本プロレスであんまり見た事ない若いレフェリー居ててその子が「お疲れ様です!お久しぶりです、玉川ですって言われて…
宮尾 玉ちゃんじゃないですか(笑)
くい :玉ちゃん…でも記憶の片隅にしかなかったけど(笑)
宮尾 そんな事もあるんですね(笑)玉ちゃんはちゃんと「辞めます」って言うて辞めましたよ(笑)続きまして…みなさんデビューするまでの苦労話を聞いてきましたが次はデビューしてからの苦労話お願いします。
岸和田:デビューしてね、やってたね。建築関係(笑)やらんでいい時もあったり、やらんとあかん時もあったね。水道や行ったりガソリンスタンド行ってすぐクビなったりね(笑)何より先輩からのイジメがすごかったね。プロレス界のイジメってすごいのよ。練習中のイジメは特にね。まずは、基礎体力トレーニング毎日の事やからスクワット500回でも1000回でも疲れないわけ。んでその後リングの上がってロープワークからの受身。ロープワークは10往復を10セットとか。そんなん出来る訳無いやん(笑)ほんでその後に受身100本。4人がかりくらいで。身動き取れないんですよ、体力も無くなってるし。その後、スパーリング。もう顔でも何でもむちゃくちゃにされてた。何かあればすぐ殴られる。
冨宅 :今やったら、問題やけど当時はそれが当たり前でしたもんね
岸和田:気に入らないだけで殴られる。朝寝てて6時頃先輩きて「何で寝てるんや」って言って喰らわされて。その先輩曰く「お前は身体が小さいんやから人2倍3倍やれよ。今寝ててどうするん」って朝の6時に(笑)
くい :そら寝てますよね
岸和田:後、どしゃぶりの日に運転してたら後ろのハシゴが落ちそうやからくくり直してくれって外出されて。その時1月で練習着のスパッツのまま外出されて、そのまま車行っちゃったりとか。どしゃぶりの中。もうどうしようもなくてこのまま逃げようって思って。ひたすら歩いて歩いて逃げてたけど、このまま逃げると全てが無駄になってしまうって思い直して…鍵も持ってなかったし。結局2時間くらい歩いて、帰りましたね
くい :こんな話聞いてしまうとね、僕なんて温室育ちですよ(笑)苦労話ですか、デビューしてから…とにかくそう言うイジメって…うん。みなさん良い先輩でしたよ
岸和田:の中でも?特にいじめられたと思ってるのは…この私
くい :いやいや(笑)そう思ってたんですけどね、今思えば岸和田さん、プロレスのイロハを教えて頂いたんで。やっぱりこの人が居なかったら…って言うのあるじゃないですか(笑)
宮尾 団体は一緒だったんですか?
岸和田:拾われてきたんです。くいしんぼう仮面が。僕の先輩の板倉さんに。もっとも僕がイジメられた先輩(笑)こいつを何とかここに住ませてやってくれないかって僕もキョトンとしてて。
くい :あははは(笑)
岸和田:僕にそんな権利なかったんで、1年くらい共同生活しました。95年なんで21年前か。そら俺らも年取るわ(笑)
くい :当時、岸和田さんは24歳で僕は20歳でしたね。バッファローさんも居て。
岸和田:仲悪いけど(バッファロー)古いですね、1年後輩。彼が東京に上京した時迎えに行ったのは僕ですね。鳶職してる時は六畳で4枚布団敷いて、布団も4枚重なってるんですよ。敷けないんで。なんとか敷いて。(笑)
くい :この人が居たからって言うのあるじゃないですか!さっきも話したんですけどデルフィンさんはもちろん僕の人生変えてくれたんですけど、プロレス界でのイロハとか色々教えてくれたのはやっぱり岸和田さんですね。岸和田さんが一人目。二人目は折原昌夫さん。試合で厳しい指導をして下さいましたね
宮尾 キラーくいしんぼう仮面の元となっているんですよね
くい :そうです、この方の厳しい指導からですね。毎日の試合で自分の自信をつけさせてくれたと言いますか、そんな感じですね。マスクマンなりましたけど、まぁ素顔のままだったら廃業してますね(笑)
宮尾 では冨宅選手お願いします
冨宅 :デビューしてからの苦労…練習生は僕一人だったんで他居なくてね。さっきのイジメの話だと、まぁ…(自粛)とかですね
くい :あはは(笑)わかる人にはわかる(笑)
冨宅 :あと、ある日道場に電話かかってきて「はい、UWFです」とか出ると「なんだ、その挨拶は!今から行くから待ってろ」って言われて道場着て怒られてなんなんやろ?って思ってました(笑)その時の気分次第でね
宮尾 理不尽ですね
冨宅 :今になって思えば理不尽とかむちゃな時期って絶対必要だと思いますよ、普通の人でも。今の人は経験しないですけど。これはまぁあんまり言わないですけど(笑)
岸和田:イジメと言えば金村キンタロー話も…(笑)燃やされたりね。
冨宅 :あぁー!燃やし系ね
宮尾 そんなジャンルあるんですか!(笑)
くい :恐ろしいですね
岸和田:燃やされるなんてかわいいものです。薬垂らされるとか、皮膚にね。ただれるよ。あ、薬の有名な事件で。詳しい事は伏せますけど。飲みの席で「僕今日は勘弁して下さい」って言ったら、これ一杯だけでもええから飲めって言われて。これ一杯だけ飲んだら寝ていいよって言われてそれグビっと飲んだんですよ。そしたらそれハルシオン10何錠入れられてて、僕目覚めたらスッポンポンなってゴミ箱に頭突っ込んでました。その時の名言が「お前らこいつ殺す気か」って言われた位の事件
くい :恐いっすね
冨宅 :ハルシオン僕らの時代よくありました
宮尾 あれ1錠で凄く眠れるヤツじゃないですか
冨宅 :僕、忘年会の時ある人を潰そうとしてFさんがハルシオン持ってたんですよ。んで、車の中でハルシオン砕いて粉にして…って言うのありましたね(笑)本当に覚えてないんですよ。気がついたら朝って言うね
宮尾 過酷な若手時代を乗り切り、潤ってた時代もあったと思います。ご自分がブレイクした時代、ブレイクしたきっかけなどあればお願いします
岸和田:僕は、プチブレイクはよくありました。93年デビューで95年、ポーゴさんの付き人やってる時。1ヶ月に多い時で40万くらいの時もありました。それがプチブレイク。大きくブレイクしたのは大阪プロレスでのマグマあたりかな。マンドラからのマグマになったくらいから金銭的に。本当に金銭的に良くなったのは大阪プロレスを辞めてからですね。僕ものすごく大阪プロレスの評価低くて。どの会場もメインイベントは僕が締めると。全部メインは僕なんですけど、当時大阪プロレスは上から数えて7番目か8番目くらいでしたね。給料が。一番トップ所とは10万くらい差が開いてました。若手は、僕が一番多くもらってると思うし、メインも僕しか上がれない…でも給料は上から数えて7、8番目。辞める時点で7、8番目。それだけ評価が低かった…割に色々任されて。まぁこう言う話になると愚痴になるよね(笑)
宮尾 では、潤ってる時のお話お願いします
岸和田:財布をポケットに突っ込んだらいくらお金入ってんねやろ?って言う時ありましたね。多い時で一月200万くらい儲かってた。自主興行交えてVKF、ドラゴンゲートと…飲み食いで全部消えたけど(笑)そのお金を貯めてればね
宮尾 ではくいしんぼう仮面選手お願いします
くい :僕は、あんまりブレイクって無いんですけどね…
岸和田:今から、今からブレイクするかも分からんね
くい :そうですね、今からブレイクして行くかもしれないですもんね。(笑)素顔でやってる頃に比べたら、大阪プロレス入って初めてプロレスで飯食えるようになったし。そうですね…まぁブレイク…って言うのは今からなんですけどね。確かに良い時期ありました。
宮尾 良い時期って言うのはどうでした?
くい :高級車に乗ったり、良い所に住んだりね(笑)
宮尾 高級車に乗ってましたもんね
くい :乗ってたっけ?最近都合悪い事は無かった事にしました(笑)
岸和田:僕が聞いた、東京に居る後輩レスラーが言ってたんですけど「○○くん、レスラーは車だよ」言うてました(笑)
くい :あはははは(笑)
岸和田:くいしんぼうさんに言われましたって言うてたよ(笑)
宮尾 控え室にレクサスの写真貼ってませんでしたっけ?
くい :あはは(笑)貼ってたよ(笑)デルフィンさんに言われた通りにね。プロレスラーって言うのは良い車乗って、良い家に住んでって言うのは言われてたからね(笑)そう言う時代だったんですよ。まぁ、でも良い車乗るのは良いですよ
宮尾 生活水準を上げるって言うのは当時言ってましたもんね。
くい :あげる事こそ、成功って言う感じはあったんですけどね
宮尾 今、上げれば上げるほど後からついてくるって言うね。
岸和田:要は、要は僕らはバカなんですよ
くい :あはは(笑)結論はバカって事なんですよ(笑)僕ね、良い時期あったらずっと続くと思っちゃうんですよ。一生この流れが続くんじゃないかって思っちゃうんですよ。バカでしたね
宮尾 そうですね。不安定な職種ですからね。
岸和田:唯一勝ってる人は一人だけ居るけどね。それだけ…まぁまぁ
くい :まぁまぁ(笑)
宮尾 冨宅さんの潤った話しよろしくお願いします。
冨宅 :僕は特に…潤ってるとかあんまり無かったんですけどね。ブレイクもしてないですし…ブレイクしてる団体に居ただけで僕自身がブレイクしたわけじゃないで(笑)まぁただ時代って言うのがあれでね(笑)UWFの頃が一番良かったですね。使っても使っても減らないって言うね。世田谷に住んで道場が新しくなって毎日車で行って飯はファミレスで1万くらい一人で食うてね(笑)一人で行って注文するじゃないですか、絶対お一人様ですか?って確認されてました(笑)で、注文して大体4人がけの所に移動させられてましたね
宮尾 ちなみにUWFの時は月給だったんですか?
冨宅 :そうです、月給ですね。ずっとそうですね。藤原組、パンクラスずっと月給でしたね。まぁ一応年俸制って言う形ですけど月給でしたね、
宮尾 最初に年俸決めてからですね
冨宅 :そうそう、そうです。後輩とか出来たらね、何かあったら小遣い1万円とか渡してね、貯金も勝手に貯まっていってましたね。僕は初めて車買った時、よく分からなくて「エンジン見ときますか?」って言われてお願いしますって言って、そろそろオイル交換した方が良いですねって言われてじゃぁお願いしますって言って、待ってたらタイヤも変えた方が…って言われてじゃぁお願いします言うて結局請求が10万円位来ました。でも普通にパンッって払いました。今なら絶対払わないけど(笑)オイル交換?結構です。でも、それ位は普通に財布に持ち歩いてましたね。何かあったら小遣いあげてましたし。それが当たり前の時代やったんで…それこそあの時のお金貯めてれば…。(笑)
宮尾 凄い時代だったんですね。では、今の現状はどうでしょうか?
岸和田:「今」痛い話題きましたね(笑)今はね、全部一緒。プロレスラー。上も下も関係ないって言うのが今のプロレスラーだね。これは僕の自慢事なんだけど、大阪城ホール、神戸ワールド記念ホール、大阪府立第一、第二、IMPホール、後楽園ホール、各区民センター今言うた所でタッグじゃなくてすべてシングルマッチでメイン張ったんです。これだけの会場でメイン張ったのは恐らく俺だけなはずです。でもね、ギャラは一緒。全部一緒。みんな一緒。昔は違ったんです。僕断トツでもらってたんです。僕よりもらってる人なんか居なかった。大阪プロレス辞めてからね。でもね、今は一緒。みんな一緒。
くい :あははは(笑)
岸和田:実績とか実力、関係ないんだよ、みんな一緒。って言うのが現状ですね
宮尾 くいしんぼう仮面選手お願いします
くい :僕ですか、今ね、今は…
宮尾 今は色々されてるじゃないですか、マットプロレスとかね。
くい :そうですね、本当に今は自分の好きな事をどんどんカタチにしていって。それが楽しいですね。僕も家庭があって、食わせていかないといけないので。本当、色々浮かんでくるんですけど
岸和田:アイディアは断トツだよね
宮尾 一時短期間で団体旗揚げしまくってましたよね
くい :そうですね、旗揚げ商法してましたね(笑)根本は食っていかないといけないから(笑)だったんですけど、最近思うのは本当にどんどん楽しんで、お金儲けも大事ですけど自分がやりたい事やっていこうと思いまして。って言うのが最近の欲求ですね。それでお客さんも一緒に楽しんでいくって言う境地にいきたいんですけど中々ね(笑)
宮尾 では冨宅選手お願いします
冨宅 :僕も、一緒なんですけどね。なんか、感じで言ったら昼間に縁側に座って今週は良かったな~って言うとか(笑)ですかねぇ(笑)なんかくいしんぼうさんみたいに色々やったりとか、しなあかんなって思うんですけど、めんどくさいです(笑)
岸和田:一緒、分かります。めんどくさい
冨宅 :色々考えるんですけどねぇ、めんどくさいんですよね…だから「もういっか」ってなっちゃいますね。だから売店にも積極的に立たなくなっちゃって、売れなくてもまぁいっか、しょうがないって(笑)
宮尾 あまり明るい話題ではなかったですが(笑)では、次は質問コーナーにいこうかと思います、ではお客さん質問ある方は挙手でお願いします。あ!では奥の…一番奥から2列目の方!
お客様:岸和田さん、先ほどの話のロープワーク10往復の時の先輩4人は誰ですか?
岸和田:板倉さん、松崎さん、平野さん、荒谷さんですね。
宮尾 次の方!はい、どうぞ
お客様:3人にお聞きしたいです。今までのキャリアの中でベストバウトは何ですか?
岸和田:これは、たまに聞かれるんですが…難しいですね。これが一番って言うのは選べないです
くい :うんうん
岸和田:何個かはあるけど、コレが一番とか限定できないね
お客様:では、時代時代あるじゃないですか、デビュー時、大阪プロレス時代とか4~5時代あると思うんですか、その中で良い時代って言うのは…?
岸和田:未完成なんですけど、思い入れがあるのは大阪ハリケーン第一回。2003年2月1日のデルフィンさんとのシングルとか2004年のライガーさんとの初対決初勝利とか。数々あるんですけど、一番ってのは無いね。一つって選べないね。
くい :うーん。良い試合しましたかね(笑)くいしんぼう仮面16年やってきたんですけど。僕の思ってるのと、客観的に見てるベストバウトってまた違うと思うんですよ。でね、客観的に見たベストバウト2003年2月1日の大阪ハリケーン、vsえべっさんとのキャラ剥奪マッチ、61分3本勝負。これが僕の、くいしんぼう仮面でのベストバウトかなって思います。あとはまぁ腐るほどしょうもない試合はいっぱいしてますけどね。絶望的なね。忘れましょう。ベストを言えと言えばえべっさんとの試合ですね
冨宅 :僕も、一番って言われると中々ねぇ。印象深い試合って考えててもパッと思い浮かばない…先週どこで試合したかも思い出せない時あるしね
くい :それ、僕もありますよ!(笑)最近めっちゃあるんですよ!
冨宅 :ですよね、わからなくなりますよね
宮尾 僕もよくあります。
冨宅 :あ~でも、最近で印象深いって言えば新韓国プロレスの林戦ですかね(笑)
宮尾 わかる人にしかわからない(笑)
冨宅 :去年1年のベストって言えばこれかなぁ(笑)覚えてるって言えばお笑いの試合のほうが印象に残るね、あはは(笑)もう、林戦以外思いつかないね去年の中では(笑)後、沖縄会館のドラムカーン戦とかね(笑)
くい :凄い試合ばっかりですね
宮尾 そっち系のね
冨宅 :そう言うの大好きなんでね、実は(笑)
宮尾 そう言う人集めてやりたいですね
冨宅 :やりたいですね、是非。興行(笑)
宮尾 他質問ある方!
お客様:プロレスラーさんはめっちゃお酒飲むって聞いたんですが…お酒での失敗談とかありますか?
宮尾 これは…大丈夫ですか?(笑)
岸和田:大丈夫ですよ(笑)数々失敗はありますよ。えーっと、昔大阪プロレス時代に一緒に戦ってた村浜武洋曰く、それまでは「酒は飲んでも飲まれるな」だったんですけど、村浜武洋は「飲めない酒なら最初から飲むな」でしたね。っていう感じで、僕は酒に飲まれます。しゃーないです。
くい :お酒は良くないですね。僕は、何杯飲んでも全く変わらないですが
宮尾 そうでしたっけ?
くい :はい
岸和田:僕もそうですが、みんなたいがい失敗してます、お酒は。ただね、その時の当事者が笑えるだけで、みんな一緒。みんな酒癖悪いんで
くい :そうですね。みんなね。お酒って言うのはね、ストレスを緩和させる何かがあるんじゃないんですかね~うん。ただね、僕はまぁ何杯飲んでも変わらないですけどね
全員 :(笑)
岸和田:去年、僕らの中で流行ってたんですけどね、プロレスと書いてストレスと読むって言うね
全員 :あはは(笑)
岸和田:あの、普通の一般人の想像が付かないくらいストレス社会
くい :プロレスと書いてストレスですからね
宮尾 冨宅さんはお酒飲まれるんですか?
冨宅 :いえ、自分から飲むことはまずないですね。一昨年の忘年会で15年ぶり?くらいかな…最後にお酒飲んだのは船木さんの2回目の結婚式。鹿児島で。それ以降飲んだ記憶はないんですけど。最初の練習生のころは「タクシー代出すから今すぐ六本木来い」とか言われて言って駆けつけ3杯飲んで裸にされたりとか(笑)ゲロ吐いたり血だらけになったり
くい :あぁ、なぜ殴り合いに(笑)
冨宅 :なんか殴ったり、ガシャーン、バリーンとか聞こえてきたり(笑)なんか足痛いなって思ったらライガーさんにガンッって殴られてたりね
全員 :あはは(笑)
宮尾 冨宅さん酔っ払うとどうなるんですか?僕酔っ払ったとこ見た事無いですね
冨宅 :どうですかね…そんな無茶はしないです、変わらないね
(A―TOYSのTORUがバーカウンターより発言)
TORU:僕、しばかれました。空牙さんのコスチューム着て、空牙さんの前に現れるって言うのみんなにやらされた時、ガチで殴られました
冨宅 :殴ってない!殴ってない!(笑)
TORU:先輩舐めてんのか!って
冨宅 :違う違う(笑)ネタ!(笑)
くい :今、ニコ生のコメントで、たぶんお酒の話の時でしょうね、「意外と病んでる」って来てました(笑)
宮尾 この業界も…ね(笑)
くい :いやいや、人間の原点に戻るとストレスも緩和されますよ。僕なんて朝早く起きてね、今日4時に起きました
岸和田:プロレスラーの一番のストレスは夜寝るとき「明日…どうしよう?」ですよ
全員 :あははは(笑)
岸和田:とりあえず、今日は何とかなったっけど明日はどうしよう?とりあえず今月は大丈夫やけど来月試合少ないなぁとか考えるよ。余裕ある時は良いけど、あれ?今月家賃払ったかな?とか風呂入れるかな?とかそう言う不安あるよ
くい :ほぉ~ん
冨宅 :この試合で家賃、この試合で光熱費とか色々考えますね(笑)
岸和田:とりあえず…今月の家賃は入れました(笑)
くい :僕は、訳分からん様なって月またぐ事もあります
岸和田:あと、グッズの請求が訳分からん位来るヤツね(笑)
くい :あぁ~
宮尾 怪我しようもんなら大変ですよね
くい :怪我したらね、もう切り崩す…
冨宅 :生活保護しかないじゃないですか
くい :僕も来月はどうしようって凄く考えますね
宮尾 他、質問ないですか?
お客様:さっき、岸和田選手は給料7、8番目って言うてましたけど上6人誰ですか?
岸和田:それは言えないですけど。だいたいは僕より上でした。若手以外はね。僕はドブねずみなんでね、嫌われてました。
お客様:その中にくいしんぼう仮面選手は…?
岸和田:もちろん、上でしたよ。大阪プロレス辞めてからは1試合あたりで僕より高い選手はまぁ居なかったけどね。絶対ね。他団体では。
くい :僕はなんやかんや言うてサラリーマンでしたから。サラリーマンを続けてましたからね。
岸和田:7、8番目でしたけど、今思えば給料が出てただけで安心はありました
くい :そうですね~
冨宅 :ですよね~
岸和田:月給の時より稼げてた?って言われるとまぁ、ねぇ(笑)でも、そん時よりも安くなってるけど当たり前。毎週やって毎週200人超え。ビッグマッチならもっと入ってたし。今よりお客さんも多いし試合数も多いしって考えたら、今の方がもらえ無くて当たり前
くい :月給は良かったですよね、今なんてかき集めてますからね
岸和田:…一緒です
宮尾 では、ニコ生より質問です
視聴者:一番痛かった試合は何ですか?
岸和田:数多くありますけど、2004年4月vsライガー戦の足四の字固めです。今でも痣残ってて、たまに痛いです。本気で折られるって思った。他にもあるけど色々。
くい :結構ありますね。何だろう?何が痛いんだろう?
宮尾 結構怪我してますよね?
くい :ケブラーダで外飛んだりエアーポケット入って大怪我ですね。
宮尾 前歯飛んでましたよね?
くい :飛びましたね。空牙さんみたいに、場外に椅子しいてムーンサルトしたら前歯4本折りました。痛いよりショック。たまに取れる今でも(笑)
冨宅 :痛い…精神的に痛い試合は多々ありますけどね(笑)身体的に痛いのはその前に倒れたり落ちてとかやったんで、あんまり。中途半端に意識あるうちにボコボコ殴られるより落ちてしまった方が楽ですね
宮尾 では、最後の質問です。「生き様としてプロレスとは何でしょうか?」
岸和田:難しいな(笑)プロレスは何なのか?僕は23年。練習生から24年。プロレス業界に居ますけどプロレスは何か?未だに答えが見つからないのがプロレスやと思いますね。答えが無いのがプロレス。逆に思うね。プロレスって一体なんなんだろうって。僕が小さい時見たプロレスと今のプロレスは全く別物。かと言って今のプロレスを否定してる訳じゃない。プロレスとは何か。僕は分からない。逆に教えて欲しい
くい :プロレスとは。生き様であり。食っていくためのビジネス。
岸和田:それもそうだけど、難しい質問だよね
くい :そうですね。難しいです。でも食っていくためのビジネスそれだけじゃ出来ないですよね。根本的に好きな気持ちがないとダメですよね。何ですかね。生き様であり…僕は一生やりたいですし生まれ変わってもやりたい。知り合いもたくさん居ますけどそれもプロレス関係が多いですし、プロレスやってるからこそ知り合えたし。お客さんも。もちろん家族も。僕の人生の直結してるので。かっこいい事言えば「プロレスとは僕の人生そのものです」
岸和田:良いこと言った!
(拍手)
冨宅 :こう、言われると僕何も言えないですよ。(笑)くいしんぼうさんの言う通りですけど。元々プロレス好きで、趣味の延長線上って言えばそうだけど…上手く言葉に表せないですけど…人生そのものって言えばそうですね。
岸和田:がっかりですけど、プロレスを仕事にしてはいけない。今の時代は。やるのは勝手ですが、プロレスを仕事にするのは辞めましょう(笑)
全員 :(笑)
くい :プロレスって何かって言うか。辛く厳しいより楽しく過ごしたいですね。
冨宅 :やっぱり何って控え室楽しいですよね(笑)僕プロレス辞めて何が一番イヤって控え室無くなる事ですかね
くい :そうですよね!ほんま楽しいですよ、一番(笑)
冨宅 :辞めても控え室行きたい
くい :ギスギスした所よりね、楽しい方が良いに決まってます(笑)
宮尾 っと言う事で結果「プロレスは仕事にしない」で良いですか(笑)
岸和田:ただ雑談してるだけみたいだけど意外とまとまってて面白いんじゃないの?(笑)
宮尾 そうですね。ではここで公開インタビュー終了します!