【ツバサ編】
トルメンタのもとで約10ヶ月間、基礎を学んだ。何戦か試合も経験した。ツバサは、更なる飛躍を目指し、メキシコシティに出て、ヌエボ・ホルダンでエスペクトロJr.とカダベル・デ・ウルトラトゥンバの指導を受けた。色々なルチャ教室を見学して回り、授業が1番ハードな、この教室を選んだ。ここでは毎日、早朝7時から2時間の一般クラスの授業があるが、ツバサはすぐに実力を認められ特別クラスの一員にも選ばれ、マンツーマンの指導を受けることが出来た。1995年7月、リングネームをツバサとし、マスクマンとなる。
(ツバサ物語より抜粋)
くい :まずはメキシコの話からお願いします
ツバサ:フライトルメンタの所に10ヶ月居て、ここに居てもこの先厳しいかなって思ったのでメキシコシティに行った方が環境も良いかなって思って移動しました。孤児院もあったんで当時150人くらいの子供達と共に移住しましたね
くい :住むのにお金はかかるんですか?
ツバサ:住むのはお金かからないね、国からの援助もあった。僕は孤児を一緒に住んで手伝うってカタチで国からの援助もらってましたね
くい :給料は出るんですか?
ツバサ:給料は出ないね
くい :まぁでも、住むのには困らないんですよね
ツバサ:そうですね、子供らと一緒に生活して。生活には困らないけど病気にはなりましたね。たぶん地下水飲んでたんで肝炎なりました。病院には行かず薬局行ったら「チョコレート」とか「はちみつ」舐めろって言われてなんとかそれで治しましたね。向こうでは当たり前みたいで
くい :メキシコシティ出て、何してたんですか?
ツバサ:シティ出たら、ジムあったから練習したりしてましたね
くい :ホテルで泊まってたんですか?
ツバサ:そうですね。交渉とかして安くしてもらって泊まってました
くい :いくらくらいなんですか?
ツバサ:うーん、50ペソ
くい :50ペソですか!(笑)全く分からないですけど(笑)ペソ!当時貯金は持って行ってたんですか?
ツバサ:100万くらいは持って行ってましたね。でも最初、語学留学で行ったので20万くらい使いましたね、その後はまぁあんまり使ってないんですけど
エスペクトロJr.はプロモーター業も行っていたため、その興行に出場させてもらった。CMLLにも話を通してもらい、チャンスを掴んでいく。1996年3月には、師匠であるカダベル・デ・ウルトラトゥンバから、メキシコ州ウェルター級のベルトを奪取している。マスカラ・コントラ・マスカラ(敗者マスク剥ぎマッチ)や、マスカラ・コントラ・カベジュラ(マスクと髪の毛を賭ける)も行っている。メキシコでは、厳しいルールがあり、1度コントラマッチで敗れ、マスクを剥がされると、素顔のままの同じリングネームで活動しなければならない。つまり、ツバサはコントラマッチで1度も敗れていないことになる。和製レイ・ミステリオJr.と称されるほどの活躍をみせていたツバサは、EMLLに昇格し正式所属選手となった。1996年6月4日にはアレナ・コリセオでメジャーマットを踏んでいる。夏には、メキシコ遠征にやって来たザ・グレート・サスケ、4代目タイガーマスクのタッグパートナーも務めている。
(ツバサ物語より抜粋)
くい :どのくらいの期間居たんですか?
ツバサ:エスペクトロの所はずっと居ましたよ、基本はずっとそこでした
くい :ウルティモドラゴンさんと試合したのはいつくらいですか?
ツバサ:メキシコ言って4、5年後くらいですね
くい :それまではどう言う活動してたんですか?
ツバサ:まぁ、働いては無いんでお金が尽きますよね。お金も尽きたんで一回日本に帰ろうと思い、エスペクトロに相談したら「今までやってきたのに日本に帰るなんて勿体無い!帰るな」って言われたんですよ。お金無かったんで住む所を紹介してくれて、これ家じゃなくて倉庫だったんですけど。まぁ先客が居まして
くい :その倉庫に?先客ですか
ツバサ:そう。その人も一緒に住んでも良いって言ってて。
くい :メキシコ人?
ツバサ:もちろん。そこに居候させてもらって。あとは食べ物じゃないですか。着る物なんて何でも良いんで
くい :はいはい。
ツバサ:でやっぱり働こうと思いまして、日本食のレストランを周ってプロレスしながら働かせてくれる所探して「レストラン東京」ってところが雇ってくれて働かせてもらって。最初はお金は要らないから何か食わせてくれって交渉して、でも一日50ペソで3食食べて、試合練習も出来てました
くい :将来の不安とかありました?
ツバサ:3年やって無理だったら3年の時点で帰ろうって思って、次5年。5年居て無理なら辞めようと思ってて。でもこれは5年以内の話やからね
くい :あ~なるほどね
ツバサ:まぁ、異国の地でお金が無くなるってどん底を経験したんで
くい :怖いですよね
ツバサ:怖いのもあるんですが、必ずどこかで誰かが助けてくれるんですよ
くい :へ~
ツバサ:もう、ここまでどん底味わったら後は這い上がるしかないなって思ってね
くい :おぉ、すごくポジティブ!
ツバサ:一回ね、トルメンタが日本に呼ばれて日本行く事になったんですよ。でね、僕も呼ばれてないけど一回帰ろうって思って一緒にね。その時はまだお金あった時で。自分まだプロレスラーとして何も成果出さず一旦帰って、地元の友達にも会って「プロレスでメキシコ行ってるんだ」って話して、そこで「俺全然まだプロレスで何もしてないや」って気付く訳ですよ。ただメキシコに来たって言う事実だけでそれを自慢したい自分が居たんですよ
くい :はいはい、なるほど
ツバサ:ただ、やってるっていうアピールの為ね
くい :わかります、わかります
ツバサ:それに気付いて、自分に腹立って。何かレスラーとして成功するまでは絶対帰らないって決めたんですけど、お金の面で挫折しかけた時にエスペクトロに助けてもらってすぐ紹介して段取りしてもらって
くい :いろんな人が手を差し伸べてくれたんですね。
ツバサ:そうなんですよ
くい :デビューはマスクマンでした?
ツバサ:2回ほど素顔でも試合しましたが、その後すぐツバサでした。マスクマンになりたかったんで
くい :どのくらい試合してました?
ツバサ:興行自体は週2回あったんですけど毎回出てたわけじゃないですね
くい :あ~はいはい。
ツバサ:その興行出て試合経験積んで…朝は7時から練習。ジムは5時から開いてます
くい :めちゃ早いですね
ツバサ:メキシコ人働くから。働きながらプロレスラーって多くて日中仕事してたらトレーニングの時間が無いと思うんで仕事の前にね
くい :へぇー!前にですか(笑)日本では仕事の後ってイメージですが
ツバサ:夜は試合だからね
くい :へぇ~
ツバサ:昼からはレストランで働いて、夜は会場の掃除など
くい :へ~。転機を感じたのはいつですか?
ツバサ:会場や試合に偉いさんとか見に来るじゃない?そこで色んな方に目付けてもらって。目に留まったと言うか、声かけてもらって
くい :はいはい
ツバサ:よくね、ルチャボニータ!って言われて、ルチャが綺麗だってね。その辺日本とメキシコで感性が違うって思ったね。強いじゃなくて、綺麗なんだよ。
くい :日本では言わないですからね、プロレス綺麗だなんてね
ツバサ:昔ライガーさんがプロレスは芸術だって言ってましたけど、ちょっと似てますね
くい :その手応えを感じたのはどの位でした?
ツバサ:まだ、2年とか2年半でしたね。目標の3年いってなかったんで、順調かなって思ってました
くい :結構早いですね、ツバサさんがメキシコで上がってたリングは結構メジャー所でしたよね
ツバサ:そうですね…
くい :外国人って言うハンデのもとそう言う団体のリングに上がれるってね
ツバサ:レスラーとしてメキシコ行ってたら結構使われてたんですけどね、そう思ったら良かったなって。僕みたいな何でも無い日本人がね。エスペクトロにお世話になってその後色んな人にもお世話になって良かったなって思いますね
くい :あぁ。はいはい
ツバサ:メキシコ遠征にやって来たザ・グレート・サスケ、4代目タイガーマスクのタッグパートナーさせてもらったり、ウルティモ・ドラゴンさんとも試合させてもらったりね
くい :それ何年くらいですか?
ツバサ:3年くらいですね。会いたくてもウルティモさんがアメリカ行ってたりとかで会えなかったんですよね。たまにメキシコ帰ってきて試合もしてたんですが、僕は2階席で見てて網張ってあるから直接は会えなかったりで
くい :近くて遠いですね(笑)アメリカに行ったきっかけってどんなでしたか?
ツバサ:アメリカは、ウルティモさんの口利きで行ってユニバーサルスタジオでWCWがやってたんで。そこに連れて行ってもらいました
くい :WCWでは何試合やったんですか?
ツバサ:3試合ですね
くい :その、怪我はいつですか?
ツバサ:えっへへ(笑)怪我は3試合中2試合目。
くい :それはアクシデントやったんですか?
ツバサ:まぁまぁ。僕身体が小さかったんで、永田裕志は普通にやってるつもりなんですけど。ロープに振られたら僕はもう吹っ飛んでいくしね。ほんでロープに投げられて振り返った瞬間、永田裕志にフロントスープレックスで脳天からマットに叩きつけられて。頭から突き刺ささりましたね
試合後、酷い目まいに襲われ、マンデー・ナイトロにも何とか出場したが、フラフラの状態で遠征を終えた。アメリカの医者からは「単なる風邪だ」と言われたが、メキシコに戻って検査を受けると「脳が腫れている」と診断された。念願の日本デビュー戦を前に、大きなチャンスが、最悪の痛手をもたらす形となってしまった。
右肘の怪我も癒えたころ、CMLLジャパン「ルチャリブレ・フェスタ98」が開催された。1998年8月19日、タッグマッチ時間無制限1本勝負、ウルトラマンJr.&ツバサvsアルカンヘル・デ・ラムエルテ&ウルティモ・ゲレーロ。ツバサにとって日本再デビュー戦とも言える試合。
1999年4月29日、スペル・デルフィンが大阪プロレスを設立。旗揚げ戦、くいしんぼう仮面が初登場したタッグマッチではパートナーを務めている。そのまま「旗揚げスパイシーシリーズ」には、CMLLジャパン所属として参加。続けて「東北恩返しシリーズ」「夏休み!アドベンチャーシリーズ」にも参加し、1999年9月、ツバサは正式に大阪プロレスの所属選手となった。
(ツバサ物語より抜粋)
くい :ルチャリブレ・フェスタ98の翌年くらいに大阪プロレス旗揚げでしたよね
ツバサ:あぁ~そうだね。最初ね僕に「ピエロみたいな格好で空中殺法してくれ」て話きましたね
くい :ツバサさんにも!?実はバッファローさんもくいしんぼう仮面になりそうだったんですよ。で僕がブラックバッファロー(笑)
ツバサ:そうなの?(笑)
くい :最初松井さんに電話もらった時、バッファローはくいしんぼう仮面どっちかなんだよねって言われた(笑)ちょうどツバサさんと初めて会ったのは旗揚げ戦の3日前くらいに和泉の道場でしたよね。
ツバサ:あ~その時もCMLLジャパンと大阪プロレスと取り合いみたいなんありましたね(笑)
くい :そんなことあったんですね!
ツバサ:結局大阪プロレスの方が良い条件出してくれたんで、住む所とかね。そろそろ日本に帰りたいなって思ってたんでね
くい :9月くらいに大阪プロレス入ったんですかね?
ツバサ:そうそう、9月だったと思う
くい :その後いろいろありましたけど、第一回大量離脱とかね
ツバサ:あったね~。今思うけどあの頃のメンバーが今居たらどうなってたかなぁって思うね
くい :確かに~。でも逆に経費めっちゃかかるんちゃいますかね
ツバサ:あはは(笑)そうやね(笑)
くい :言い方悪いですけど、そこから若手がプッシュされて新しい時代が来たと言うかね
ツバサ:はいはい、そうかもね
くい :あのあと月1回ですが爆リングあったり会場もあって、ある意味良い流れやったかなとは思うんですけどね
ツバサ:そうだねー。良い流れやったんかもね
くい :常設会場もあって、テレビもバックアップしてくれて…ただみんな若かったですからね
ツバサ:抜けた選手はもともと東京勢やったんで、抜けた後残ったメンバーで頑張ろうって言って一回みんなまとまったよね
くい :そうでしたね。その頃ツバサさんの印象に残ってることってなんですか?
ツバサ:うーん、たぶんそのことインフニティ結成したんですよね。いつかルードやってみたいって思ってたので。会社として悪者がしっかりしないとって言うのもあるじゃないですか。やっぱり結成したアムホーム
くい :すごかったですね。揺れましたもんね
ツバサ:あれは忘れられないですね
くい :僕も覚えてます、人気ありましたもんね
ツバサ:新日でたり、府立出たときとかすごい注目されててもんね、昔はー。
くい :お客さんもめちゃくちゃ入ってましたよね、パンパン。今のパンパンとかわけがちゃいますからね
ツバサ:良い時代だったねー(笑)城ホールとか良くやったよね
くい :そうですよねー僕営業とか全然してなったですね
ツバサ:僕は結構してましたよ(笑)
くい :そうだったんですか(笑)2003年が一番ピークだったんですかね
ツバサ:あの時のくいしんぼう仮面対えべっさんはすごかったよ。本当、すごかった
くい :ありがとうございます
ツバサ:あの頃はよかった(笑)若手が居なかったよね。あの絶頂期に若手を育てられ無かったってのが痛いよね
くい :そうですねータイガースくらいじゃないですかね
ツバサ:環境は良かったけどね、合宿所もあって常設会場もあってね。その後入って来たのがスパイダーとかゼウスだったよね
くい :2004年後半くらいから選手の不満みたいなもの出てきましたよね、今思えば何が不満だったんですかね
ツバサ:常設会場って良い面もあるけど、要は選手は何もしなくても試合は組まれるし、お客さんも毎回同じ所来るし、飽きるよね
くい :メンバーも一緒ですからね
ツバサ:そこで、若手を育てられなかったって言うのがね
くい :あぁ~なるほどね。2005年第二回大量離脱の時はどうでした?
ツバサ:そのくらいに怪我で欠場、復帰戦でまた怪我して(笑)
くい :そうでしたね
ツバサ:たからその辺の香ばしい話は詳しくわからない(笑)その怪我の時は自分の中で潮時かなってちょっと思ってましたね。会社の契約内容的に怪我しても保障しますってあったけど、復帰戦でも怪我したから会社の負担増やすのはって思って、次の契約更新はしなくてそのままフリーになったね
くい :あぁ~
ツバサ:その後、医学療法士になったね。怪我したときにプロレスの次に何がしたいかって思ったら経験を生かして医学療法士へ。でも早々簡単になれるもんじゃなくてね
くい :そうですよね
ツバサ:頭も悪いのにさ、とりあえずどうしたら医学療法士なれるか調べて学校行きました。もう一つなりたかったのが技師装具士。これは学校が神戸でちょっと遠かったからね
くい :通うにはちょっと遠いですね
ツバサ:で、その後学校4年行って、それから国家試験
くい :長いですね!その間試合出てましたよね?
ツバサ:日曜日だけね、土曜日は学校あったから
くい :え!学校行ってた間の生活はどうしてたんですか?
ツバサ:蓄えやね
くい :あぁ~。ここだけの話ツバサさんは蓄え残したらすごいんですよね。僕いろいろ思うんですけど、蓄えあるレスラーはお酒飲まない、タバコ吸わないですよね。デルフィンさんビリーさんとか
ツバサ:俺無茶できない人だから、いくらかかるか計算して「コレならいける」って思ったから行ったけど。学校に関して500万くらいは使ったね
くい :結構な額ですね
ツバサ:その他に生活費と、月4回の試合と
くい :お酒もタバコもしないですから残りますよねお金。僕は目先の欲望に負けてしまうんで
ツバサ:良い車とか乗ってたよね?(笑)
くい :乗ってました(笑)
ツバサ:プロレスラーやって良い車乗るとか夢があっていいよね
くい :夢を見せたったんですどね…あはは(笑)学校生活はどうでした?
ツバサ:周りがみんな若いからね、同級生は20代
くい :授業後に交流とかあったんですか?
ツバサ:無いね。あ、でも筋肉の授業の時は標本にされたね(笑)
くい :あはは(笑)一緒に授業してる人たちはツバサさんがプロレスラーって事は知ってたんですか?
ツバサ:知ってる知ってる。
くい :そこから国家試験受けてそうしたんですか?
ツバサ:働くところは決まってて、自分がリハビリした所ね。すんなり就職して。
くい :そのころ大阪プロレスはミナミの会場でしたね
ツバサ:そうだね
くい :その頃僕とかはまだ契約してたんですけど、ツバサさんは仕事しながら試合出てて大阪プロレスとはちょっと離れて一定の距離置くといいますか…
ツバサ:そうそう。そんな感じで。いろいろみんなの大変な事聞きながらね
くい :仕事しながらプロレスラーしてる時、プロレス一本でって思いは無かったですか?
ツバサ:それは無いね。そう言う状況じゃ無かった
くい :あぁーなるほど。
ツバサ:あと、大きい怪我だよね、恐いのは
くい :あぁ~そうですよね。今の大阪プロレスは1、2ヶ月に一回くらいで興行開催してますけど、今の心境的にどうですか?
ツバサ:うーん、僕としては「大阪プロレス」って名前を残したかったからね。人間関係とか全部抜きにして名前だけは残したかった。寂しくない?名前無くなっちゃうの
くい :そうですね。常設会場なくなり約2年くらいですよね
ツバサ:納得した活動は出来てないけどね、大阪プロレスとして
くい :どうなってほしいですか?これからの大阪のプロレス
ツバサ:一つになってほしいけどね。関西のプロレスが
くい :なかなか難しいですね
ツバサ:そうだけどね
くい :なかなか暗い話題になってきましたね
ツバサ:そーぉ?
くい :聞いてるほうは暗い話題のほうが面白いんですけどね(笑)
ツバサ:そうなの(笑)
くい :またメキシコ行きたいですか?
ツバサ:うーん、もういいかなって(笑)若くないしね
くい :あ!ピストル突きつけられた話聞いていいですか(笑)
ツバサ:ピストル突きつけられた話ね(笑)中学生くらいのガキ5人に囲まれて、真昼間に。時計とかお金取られて、ガイドブックに何かを差し出したら大丈夫って書いてあったんで。ただ失敗したのはその後警察行ったこと。パトカーの中に乗せられて、いろいろ事情聴取されてホテルまで送ってもらったら警察官に「金よこせ」って言われましたね
くい :警察官に!?(笑)すばらしい国ですねメキシコ(笑)
ツバサ:お、スパイダーこっち!
※会場に居たスパイダーを呼ぶ
スパ :手ぶらもアレなんで差し入れ持ってきました(笑)
くい :ありがとう(笑)
ツバサ:ありがとう(笑)
くい :じゃぁ、インタビュー再開します(笑)今後はどうしたいとかありますか?
ツバサ:単純に思いで作りかな(笑)
くい :具体的にはどんな?
ツバサ:体力的に続くかわかんないけど全員とシングルマッチで戦ったりねぇ体力的にどうかと思うけど(笑)
くい :あぁ~。
ツバサ:まぁ、昔よりは試合数も少なくなってる分、一試合にかける思いって言うのは強くなってるね。年って言うのもあって自分の欲求に甘くなってる部分もあるけどね。油モノとかこれくらいいいかって(笑)
くい :はいはいはい(笑)プロレスはいつまでやりたいですか?
ツバサ:プロレスが無かったら面白く無いなってのはあって。こんなに楽しいことは他に無いから、同じ思いのレスラーとリング上で戦って生きたいよね
くい :仕事のほうは?
ツバサ:仕事は生きていくうえでの手段であって、プロレスとはまた違うけど。プロレスは本当ずっと続けていきたいね。言い方悪いかも知れないけど、プロレスを趣味にしたくない。たまに「プロじゃねぇじゃん。セミプロじゃん」って言われる事もあるんですが
くい :え!そんなことあるんですか?
ツバサ:あるよあるよ
くい :誰に言われるんですか?
ツバサ:宴会場で試合したときあるじゃん?その時「プロレス一本でやってるの?」って言われて「仕事してます」って言ったら「じゃぁプロじゃないね、セミプロやね」って言われたね。まぁその通りなんだけどね
くい :う~ん。いろいろですけどね
ツバサ:まぁ、プロレス一本で食ってる人も居るからね。まぁあとは身体が付いて来るかどうかやけど、とりあえず下を向かず行こうって。リングに上がれば上向くしかないからね。
くい :プロレスには引退は無いですもんね、廃業はありますけど(笑)やっぱりメジャーって言われてる団体どう思いますか?
ツバサ:そりゃ良いよね。うらやましいよ。原田とか小峠ね。あいつらが頑張ってると励みになるし、俺達がやってきた事は間違いじゃないって思える
くい :そうですよね
ツバサ:メジャーでも通用する選手になったって思いと、また戦いたいって思いと…
くい :やっぱり、ツバサさんは貪欲ですね
ツバサ:俺ね…あとは身体が付いてくるかだよね。また下を向くような話が(笑)
くい :油断するとすぐした向いてしまいますね(笑)
ツバサ リングに上がったら上を向くしかないから(笑)その上がれる試合があればの話しだけど。呼ばれるうちは出たいし
くい :やっぱり、プロレスは引退は無いですけど廃業はありますもんね(笑)
ツバサ:それまでは、
ツバサ:そうだね、それ。「こんな試合見せるのか」って言われたら終わりだね。それまではやっぱりプロレスラー全員ライバルで。こいつ(スパイダー)には負けたくない
スパ 頷く
くい :すばらしい!ストイックです。トレーニング量はどうですか?
ツバサ:落ちてるけど…トレーニング方法も変わってきてるしね
くい :そうですよね
ツバサ:最近走れなくなってね
くい :僕も、終電乗るときくらいしか走りませんもん(笑)
ツバサ:あと、階段ね(笑)
くい :はいはい(笑)最近、僕目もダメですね
ツバサ:あ~これ、マスクしてると見えるけど脱ぐと見えない
スパ :え!被ったら見え難いんじゃなくてですか?
ツバサ:メッシュ効果?だね。被ってた方が見える
スパ :僕見えないですね、メッシュしてても
くい :斜視なんでねぇ
ツバサ:あ!それちょっと心外なんだけど、俺のせいって聞いたけど?
くい :あはは(笑)それはきっかけ作りです。ツバサさんとの(笑)昔天王山で。ローリングソバットを顎に喰らったんです。その時に初めて違和感を感じたんですよ。頭打つたびに景色がずれるんですよ。
ツバサ:確かに。入れてた、顎に。
くい :あはは(笑)
ツバサ:写真とか見てると我ながら良いソバットだなって(笑)最近はそこまで足あがらないなって(笑)
くい :さすがです(笑)では、残留組話でもしていきましょうかね(笑)スパイダーは10周年だよね
スパ :そうですね、10周年の興行も考えてます
くい :その前にシェア興行だけど(笑)6月12日に予定しています。10人シェア興行。
ツバサ:今発表?
くい :いえ。妄想です。まだ会場も押さえてません(笑)
スパ :あはは(笑)
くい :映画もね、ドキュメンタリー。これから考えていこうかと。
ツバサ:これからなんだね(笑)
くい :はい(笑)そろそろ次の話いきましょうか。なんか無いですか?(笑)
ツバサ:沖縄へ行く秘蔵話しとか無いの?なだっけ?「行く?」って言っちゃったんだっけ?
スパ :「ええ経験やし行くか?」って言われたんで「行く」って言ったんですよ。それが日が経つにつれて「ん?」って思って
くい :どんどん状況が変わってきちゃったからね(笑)
ツバサ:それ、僕知らないからね(笑)
くい :最初はあくまで「支店」だったからね(笑)
スパ :段々喧嘩別れ説が(笑)
ツバサ:行くって言っちゃったからなぁ。相談されたけど(笑)まぁ良い経験になったし。結果良かったんじゃない?
スパ :まぁまぁ、そうですね。
くい :スパイダーもそう言うのあるから沖縄に呼んでもらえたりね
スパ :そうですね。有り難いです。
ツバサ:でも、同期が居るってうらやましいね。俺居ないし、ライバルもメキシコ人だったし
くい :逆に僕らからすると海外って言うのがうらやましかったり
ツバサ:海外に逃げたって見方もあるしね
くい :メキシコ恐いですもん。行きたいとは思ってるんですけど(笑)
ツバサ:俺身体小さいから、メキシコ行くしかねぇじゃんって思ってた
くい :あ~。ビリーさんもそうですけど、1からメキシコってやっぱり凄いです
スパ :すみません、僕途中ですがここで帰らせて頂きます
くい :あはは(笑)じゃぁ、スパイダー気をつけて(笑)さて、まとめに入りましょうか
ツバサ:そうね
くい :メキシコ行ってレスラーになるってのも非日常的で僕は凄く憧れますけど
ツバサ:うーん。まぁこれから行こうとか思ってる人が居ればアレだけど。僕は最初に考えたのは、何処にでも日本人って居るじゃない?だからあえて日本人を避けてた。日本人居ると頼るし、日本語で話してしまうからあえて避ける
くい :なんと、自分に厳しい(笑)日本のプロレス界って、今からプロレス始める子って何を目標とかどうしたら良いと思います?それこそメキシコとか
ツバサ:なかなか難しいね。今って昔ほど敷居が高くないって言うか…ねぇ?
くい :はい、そうですね
ツバサ:単純に各団体のテスト受けて受かってって言う時代じゃなくて、色んな段階あってのし上がって行くって感じだし
くい :なってからが大変ですよね
ツバサ:そうそう。
くい :目標がまず違いますよね。目指すものって
ツバサ:まぁ、目指すものってのは各自バラバラだし、これってないけど。プロレスやって後悔だけはして欲しくないね。ファンのみんなもそうだけど、見て良かったって思って欲しい。やっててもちろん楽しいし。こんなに面白いものは無いって思ってる。
くい :おぉ!上手くまとまりましたね(笑)
ツバサ:まとまったね(笑)
くい :怪我無くね
ツバサ:怪我は本当大きく変わるから。でも、怪我があっての今の僕だから。
くい :良い話聞けましたね、ありがとうございました
ツバサ:ありがとう