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私の履歴書34枚目


2001年もそろそろ終わる頃 最後にめっちゃ美味しい仕事があってん 。

南港のショッピングモールでイベントしたんだけど、これが3日間行って15万円 。

まあ1日の拘束時間からしたらボロいでぇ こんな感じでやっぱり団体に勢いがあると イベントとかにも引っ張りだこになる 

他学園祭とか売り興行もホンマ多かった。試合数も月12 3試合位やっとったな
まあ月給制やからね…

そして物語は2002年へ
順調やった2001年は常設会場も毎回ほぼ満員のお客さんが来てくれて盛況やったな
 
その頃のわしのポジションは完全な脇役というか中堅どころまあ若手のええ踏み台やって今は踏み台にすらなってない?
ウルセー(笑) 

くいえべ対決という独自の世界は築いてはいたがまだまだプロレス界全体には響いてなかった 。

言うまでもなくえべっさんとの絡みには絶対的な自信を持ってたからな。

だからたまに若手の踏み台みたいなカード組まれたら なんでわしが?って気持ちが正直あってやな 

戸惑ったし悩みもしたわ。わしはどの方向に行けばええんや?とね 

まあ今思えば何ちゅう事あらへんけど…変にプライドあったんかな いや…やっぱりあったな(笑)

2002年の話をする前に
ひとつ忘れとった事が今でこそ真面目というか大人になったわしやけど 

昔は超いい加減な人間やったんや。まず最悪なんは時間にルーズやったね 

約束の時間に遅れることがプロレスラーの真髄やと恐ろしい勘違いしとった環境がね… 

大事なスポンサー営業の時も1時間遅刻した事もあるしかしその日は奇跡的にスポンサーになってくれたもんな(笑) 

その後そこの社長さんが食事に誘ってくれたんやけど わしべろんべろんに酔っぱらってやな、まあ社長さんは楽しい奴やと喜んでくれたけど… 

ほんでその盛り上がった席で テレビ出演のオファーが入ったとウチのスタッフから電話もろたねん。

事もあろうにわしその番組 遅刻どころか現場にすら行けなかった 

だってべろんべろんに酔っぱらってるトコに電話してくるやもん 

そんなん覚えてへんわ(笑)遅刻グセはそっからしばらく抜けへんかったな 


あっそうそうその番組はちちんぷいぷい?やったかな

つづく…!!