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私の履歴書23枚目

常設会場やったら経費的に移動や宿泊もかからないからええんやけど、毎週やってると、いつでも行けると思われるんや。
よっぽどコアなファンの方やったら別やけどね、でも人数は限られてくるやろう。
わしらにできる事は、とにかく良い試合する事、あとは会場でのファンサービスかな?
会社としてはとにかく、商品(選手)をどう世間に売り込むか、メディアへの露出とかが大事やと思うね。

旗揚げ直後で物珍しさも手伝ってテレビや雑誌が取り上げてくれたけど、それでもなかなか動員アップには繋がらなかったんや。
旗揚げした1999年当時の大阪プロレスは絶対的エース、スペル・デルフィンとルード軍LOVのボス、
ディック東郷を中心に薬師寺正人、星川尚浩、ツバサ、ブラックバファローなど蒼々たるメンバーが
レベルの高い戦いを展開していた。

わしは前座戦線やったけど、ライバルえべっさんと日々進化した戦い?を展開していた。
最初は薬師寺さんに色々アドバイスをいただいたんや。
もともとくいしんぼう仮面のキャラ設定というかプロデュースは薬師寺さんの仕事やってん。

ほんで薬師寺さんに言われたアドバイスは、基本何もしなくていいから、やられっぱなしでいいと。
でも動く時は俊敏に動けって言われとったんや。でもわしの器量では無理やったわ。

育ちの違いかな?最初からルチャ習っとったら要望に応えれたんやと思うけどな~。
だからわしはわしのやり方で、えべっさんとの戦いに磨きをかけていった。薬師寺さんや他の人には最初は酷評されたよ。
今でこそ大阪プロレスのお笑いは認知されとると思うけど、はじめは賛否両論あったんや。

それでも、えべっさんと対戦するのは楽しかったな。わしらがやっとる試合は変プライドあったら絶対できんからな。
そんなわしとえべっさんは試合をやるたびに、ドッカンドッカン笑わしとった。たまにどぶ水みたいな試合もあったけどな…
観客動員がイマイチだったり、色んな問題を抱えていたけど確実にコアなお客さんを掴み少しずつ前進していく大阪プロレスだった。

続く…