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私の履歴書07枚目
平成8年1月中旬頃、晴れてIWA JAPANに参戦できたわしはオリプロの道場に向かう為に千葉県柏市におった。
オリプロの道場は駅から歩いて軽く30分はかかる、えらい辺鄙なとこにあったんや。
当時、その道場兼合宿所にいたメンバーがすごかった!
まず、現マグニチュード岸和田こと藤田さん、現ブラックバファローこと山田さん、元WJの高智さん、平野勝美さん、その当時WARでレフェリーをやっていた松井さんなど、
今考えたらホンマ凄いメンバーやった。
わしが着いた頃にはすでに高智さんがランニングから帰ってきて足の運動を500回やってた。しばらくすると藤田さんと板倉さんが来て、わしにスクワット500回を命じた。
それが終わると今度はプッシュアップ30回10セット。やり方が悪いと注意された挙句、速攻潰れる情けないわし。
その後、腹筋200回、ブリッジ3分、一番きつかったのが、ショルダースルーの受け身!20発は取らされたかな?途中戻しそうになり、
板倉さんから「もう帰るか?」と厳しい言葉。でも帰るとこないからわしは頑張ったんや。千葉の道場初日はきつかったで~!
いくら試合経験のある一選手のわしでもここでは新弟子扱いやった。わしに与えられる部屋などなく、先輩が御飯を食べたり、テレビを見てくつろぐ大部屋があったんやけど、
そこの押し入れがわしの寝床やった。
特に厳しかったのが藤田さんでちゃんこが不味いとか、部屋が汚いとかその他諸々ホンマによ~怒られたわ。毎日のように「早よ辞めて田舎帰れ」って言われてたしな。
あっ!あときつかったんが合宿所の電話番!
藤田さんは毎日わしと森高千里のCDかけながらスクワット1000回やっとったんやけど、その途中でよう電話がなるねん!
電話は二階にあるからダッシュでとりにいくんや。まるでスクワットと階段ダッシュのスーパーセットやでしかし!
最初は苦労続きの合宿所生活やったんやが、徐々に楽しくなってくるんや。
厳しかった藤田さんとは対象的に高智さんと山田さんは最初から仏のように優しかった。
世代が近かったからかな?
わしが合宿所に来て3ヶ月目位には完全にみんなと打ち解けてたわ。
藤田さんも最初は厳しかったけど、わしのあまりもの出来の悪さに呆れて、いつからか何も言わんようになった。みんなホンマ仲良かったなぁ。
よくみんなで御飯食べに行ったり銭湯行ったり楽しかったで!あれから10年以上経つけど、千葉柏の合宿所メンバーとの絆は今だに健在やと思うわ!
話はかわって関空トルネード誕生秘話!板倉さんに「何か一つ飛び技練習しろ」って言われて、新日本プロレスの金本さんのローリング・セントーンを試してみた。
体重も軽かったせいで案外簡単にできたんや!その当時70キロ位しかなかったからな。何回か同じ技を練習してたんやが、だんだん飽きてきてちょっとひねりを加えてみた。
そしたら板倉さんが驚いて、「もう一回出来るか?」って言うんでもう一回やったらまたできた。それが今の関空トルネードなんや!
ちなみに昔はセカンドロープからやってたんやで。
血のにじむ練習の末ではなくて、たまたまできた技やったんやけど、わしはこの技にはすごく感謝してるんや。この技がなかったらわしは確実に今プロレス界で生き残ってないやろね。
大阪プロレス入った当初、松井さんに「お前はこの技できなくなったらクビだよ」って真顔で言われたわ。もちろんわしはこの技ができなくなったら引退するつもりやで。
つづく…!!
私の履歴書07枚目
平成8年1月中旬頃、晴れてIWA JAPANに参戦できたわしはオリプロの道場に向かう為に千葉県柏市におった。
オリプロの道場は駅から歩いて軽く30分はかかる、えらい辺鄙なとこにあったんや。
当時、その道場兼合宿所にいたメンバーがすごかった!
まず、現マグニチュード岸和田こと藤田さん、現ブラックバファローこと山田さん、元WJの高智さん、平野勝美さん、その当時WARでレフェリーをやっていた松井さんなど、
今考えたらホンマ凄いメンバーやった。
わしが着いた頃にはすでに高智さんがランニングから帰ってきて足の運動を500回やってた。しばらくすると藤田さんと板倉さんが来て、わしにスクワット500回を命じた。
それが終わると今度はプッシュアップ30回10セット。やり方が悪いと注意された挙句、速攻潰れる情けないわし。
その後、腹筋200回、ブリッジ3分、一番きつかったのが、ショルダースルーの受け身!20発は取らされたかな?途中戻しそうになり、
板倉さんから「もう帰るか?」と厳しい言葉。でも帰るとこないからわしは頑張ったんや。千葉の道場初日はきつかったで~!
いくら試合経験のある一選手のわしでもここでは新弟子扱いやった。わしに与えられる部屋などなく、先輩が御飯を食べたり、テレビを見てくつろぐ大部屋があったんやけど、
そこの押し入れがわしの寝床やった。
特に厳しかったのが藤田さんでちゃんこが不味いとか、部屋が汚いとかその他諸々ホンマによ~怒られたわ。毎日のように「早よ辞めて田舎帰れ」って言われてたしな。
あっ!あときつかったんが合宿所の電話番!
藤田さんは毎日わしと森高千里のCDかけながらスクワット1000回やっとったんやけど、その途中でよう電話がなるねん!
電話は二階にあるからダッシュでとりにいくんや。まるでスクワットと階段ダッシュのスーパーセットやでしかし!
最初は苦労続きの合宿所生活やったんやが、徐々に楽しくなってくるんや。
厳しかった藤田さんとは対象的に高智さんと山田さんは最初から仏のように優しかった。
世代が近かったからかな?
わしが合宿所に来て3ヶ月目位には完全にみんなと打ち解けてたわ。
藤田さんも最初は厳しかったけど、わしのあまりもの出来の悪さに呆れて、いつからか何も言わんようになった。みんなホンマ仲良かったなぁ。
よくみんなで御飯食べに行ったり銭湯行ったり楽しかったで!あれから10年以上経つけど、千葉柏の合宿所メンバーとの絆は今だに健在やと思うわ!
話はかわって関空トルネード誕生秘話!板倉さんに「何か一つ飛び技練習しろ」って言われて、新日本プロレスの金本さんのローリング・セントーンを試してみた。
体重も軽かったせいで案外簡単にできたんや!その当時70キロ位しかなかったからな。何回か同じ技を練習してたんやが、だんだん飽きてきてちょっとひねりを加えてみた。
そしたら板倉さんが驚いて、「もう一回出来るか?」って言うんでもう一回やったらまたできた。それが今の関空トルネードなんや!
ちなみに昔はセカンドロープからやってたんやで。
血のにじむ練習の末ではなくて、たまたまできた技やったんやけど、わしはこの技にはすごく感謝してるんや。この技がなかったらわしは確実に今プロレス界で生き残ってないやろね。
大阪プロレス入った当初、松井さんに「お前はこの技できなくなったらクビだよ」って真顔で言われたわ。もちろんわしはこの技ができなくなったら引退するつもりやで。
つづく…!!