私の履歴書03枚目

当時わしと一緒に練習生としていたのが、長岡君と熊本君やった。長岡君は東京出身で身長が187センチもあった。でかいというより…長いな(笑)ガリガリやったからね!

そんな長岡君とわしは職安に行って職探しに励んだ。そして枕木交換という素晴らしい職に巡りあったんや!毎朝4時起きで釧路から3時間半かけて帯広に行き、

朝8時から昼3時過ぎまで仕事、昼食を食べて帯広にある宿舎で仮眠して、夜10時から朝遅いときで翌朝9時まで仕事というナイスな労働時間やった。

翌日は休みやから昼過ぎまで寝て、それからジムで基礎体とウェートトレーニング、それから走って公園まで行き、公園でブルーシートを敷いてスパーリング…だいたいこんな感じかな?

ジョージ高野は凄い練習熱心やったね。でもわしはアルバイトがキツくてなぁ…(汗)

ここでジョージ高野の宇宙人伝説を紹介するわ!


・おもむろに道端に生えてた草を食べた!

・ボードゲーム『モノポリー』のカードに自分で新ルールを書き足し、ゲーム終了を大幅に遅らせる。

・自ら発案したという戦艦ゲームを練習生の長岡君に12 時間付き合わせる。

・震度6の大型地震があった時、真っ先に我々を危険な外へ誘導した。もちろん外へ避難したのは同アパート内で我々だけだった。

・突然、中学校の参考書や問題集を買って来て我々に勉強させた。

・まだ春なのに突然川で泳ぎ始めた。

本気で思い出そうとしたら百項目はあるんちゃうかなぁ…。

みんな興味深深のジョージ高野のプロフィールはこんなかんじやな。

新日本プロレスでデビュー。ザ・コブラというマスクマンとして活躍し、後にメガネスーパーを後ろ楯に旗揚げされたSWSに参加。SWS崩壊後、弟の俊二と共に新団体旗揚げ。

後に喧嘩別れしてフリーに…そんなジョージさんが新団体の旗揚げ場所に選んだのが、ジョージさんの奥さんの実家のある釧路やってん。

わしが釧路に来たんが平成6年9月で旗揚げは翌年の6月に予定されていた。

ほんで団体名なんやが、最初はファイティング・スピリット・レスリングで『FSW』だったらしいんやけど、当時あったFMWという団体とかぶるという事で『FSR』になったんや。「WRESTLING」やなくて「RESURINGU」なんやな(笑)

今思えば釧路極寒プロレスとかにしてたほうが長続きしとったと思うわ(笑)熊とかジンギスカンにちなんだキャラクター出してたんやけど、ジョージさんは何故か格闘技スタイルがやりたいとか言ってはってなぁ。プロレスの練習は一切せずに関節の極めっこばっかりしてたよ。そんな中、事件が起こったんや。

この日は柔道場で長岡君と関節の極めっこをやっていたんや。わしはレスリングやっとったから、いつもわしが勝っとったんや、まあ彼は野球出身やったから当たり前なんやけどな。

でもその日はよっぽど悔しかったのか、いきなり彼が豹変してパンチやキックを出してきた。タックルに入ろうもんなら、ガンガン肘うちを連打してきたんや。わしもびびって、横で黙って見ていたジョージさんに「いいんですか?」って訊いたんやけど、ジョージさんは何も言ってくれなかったので、わしは覚悟を決めてタックル行くと見せかけて、顔面におもいっきりヘッドバットをかましたんや!長岡君は唇を切って2針縫ったかな?

まあこんな感じで喧嘩しながらも釧路にいる時は スパーリングばっかりしとったな。

続く…!!